日記:「何となく、何物かに押されつつ、づるづると国を挙げて戦争の渦中に突入したといふ、この驚くべき事態は何を意味するのか」

01



「ニュースの追跡:高浜原発再稼働差し止め 菅官房長官『厳粛』ではなく『粛々と』 無責任の病理あらわに」『東京新聞』2015年4月17日付。

“政府は三権分立の原則から「厳粛」に受け止めるべきだが粛々と進める。厳粛と粛々の間に現政権の病理が”

“今回の裁判では、新規制基準も実質的な争点になった。そこで裁判所が下した決定は重い。仮処分決定は暫定的な判断だが、異議申し立てを受けて覆されない限り、効力を持ち続ける。確定判決と比べ、拘束力に違いはあるだろうが、司法が権威付けをした判断は、決して無視できるものではない”。渋谷秀樹

“(関西電力が相手だから)「国は当事者ではない」(菅氏。「『裁判の直接の当事者』ではないということにすぎない。詭弁といえる」…「原子力政策は国策。電力会社は国のエネルギー計画に従う形で再稼働の方針を決めている。再稼働に関する問題で『国が当事者ではない』と言えるはずがない」高橋哲哉

“菅氏の見解は三権分立原則への軽視もさることながら、判断の本質を誰と誰が争ったという司法の形式に矮小化し、拡散しようとしている。つまりは、責任から逃れようとしている。この「無責任」体質は原発の本質ともつながる”。


官房長官安倍晋三首相が連呼する「粛々と」……沖縄も安全保障法制も、極右とのつながりも全部これですよね。

思い起こすのは丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」です。

「何となく、何物かに押されつつ、づるづると国を挙げて戦争の渦中に突入したといふ、この驚くべき事態は何を意味するのか」。すでに「超克」されたと錯視されがちな丸山眞男が指摘した「無責任の体系」は手を変え形を変え温存されている。思想世界におけるポストなんちゃらの体たらくが、強引な手法を招いたといっても過言ではないかもしれない。



12


Resize2032