覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『若き科学者への手紙−情熱こそ成功の鍵』『数学の言葉で世界を見たら−父から娘に贈る数学』」、『毎日新聞』2015年04月19日(日)付。

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今週の本棚:中村桂子・評 『若き科学者への手紙−情熱こそ成功の鍵』『数学の言葉で世界を見たら−父から娘に贈る数学』
毎日新聞 2015年04月19日 東京朝刊

 ◆『若き科学者への手紙−情熱こそ成功の鍵』=エドワード・O・ウィルソン著、北川玲・訳

 (創元社・1620円)

 ◆『数学の言葉で世界を見たら−父から娘に贈る数学』=大栗博司・著

 (幻冬舎・1944円)

 ◇行き詰まった時も楽しみ、考える力養う

 四月は若い人たちが新しい道を歩き始める時である。その人たちへの先輩からの贈物二冊を紹介しよう。

 一冊は、アリの研究者で「生物多様性」という概念を世界に広め、「社会生物学」を提唱した米ハーバード大学名誉教授E・O・ウィルソンの『若き科学者への手紙』である。プロローグで「何よりも先に言っておきたいことがある。自分の選んだ道に踏みとどまり、できる限り先に進めということだ。世界はきみを必要としている−−それも非常に、だ」と強く語りかける。

 たとえば、生物は一千万種はあると言われながら、既知の種は百九十万種ほど。新種発見は年一万八千種ほどだった。ところが近年分類技術が進んだうえに、オンライン百科事典がつくられて急速なデータ化が進んでいる。生物多様性を知り、地球の持続可能性を考える重要な研究が若者を待っているのである。ここでは著者が関わっている科学の一分野をあげているが、さまざまな分野の先輩に聞けば、どこにもきみを必要とする仕事はたくさんあるはずだ。

 二十通ある手紙の一通目には「まずは情熱、それから勉強」とある。そして、科学者に求められるものは高いIQではなく労働倫理、一つのことを長時間行うこと、行き詰まった時にも楽しめることだと言う。これもどの仕事にも通じることだ。

 「科学的思考の原型」という手紙では、興味深いことを指摘する。「新たな真実を発見して得られる喜びによって科学者は詩人となり、昔から知られる真実を新たな方法で表現して得られる喜びによって詩人は科学者となる。この意味において、科学と芸術は根本的に同じだ」。あらゆる分野がつながっているのである。

 具体的行動として、まず「指導者との出会い」を求めようと指摘する。私も自分の体験からこれは強く思う。「創意に富む専門家であるためには、深く関わることが求められる。テーマに深く関わるとは大変な努力を続けていくということだ」「人類は情熱と広い知識を備えた専門家をもっと多く必要としている。そこできみの出番だ」という呼びかけにも共感する。とくに最近は情報過剰であるだけに、専門をしっかり持とうという提案は心に留めてほしい。

 最後の手紙は「科学の倫理」をとり上げる。「何よりも真実を追究するために科学の世界に入ったことを忘れないように」。あたりまえだが、一番大事なことをつい忘れてしまうことはよくある。そして「科学界のメンバーたちから授かった信用をけっして裏切らないよう気をつけたまえ」と結ぶ。もちろん競争もある。成果の利用も大事だ。しかし、社会は信用で成立しているのである。

 次は、米カリフォルニア工科大学の理論物理の教授が高校生になるお嬢さんに、「21世紀に有意義な人生を送るための数学」を語る。普通の人には数学など不要と言う方もあるが、著者は、「変わりつつある世界で必要とされるのが、自分の頭で考えることのできる能力」であり数学はそれに必要と言う。数学は普通の言語より正確に物事を表現する言語として作られた。だからこれまで言えなかったことが言え、見えなかったことが見え、考えたこともなかったことが考えられるのだ。

 そうかもしれないが、でも難しいんだよねとおずおずと読み始めたら面白い。「基本原理に立ち戻ってみる」の章では、足し算、掛け算に始まり、「(−1)×(−1)はなぜ1になる?」という項でデカルトパスカルも負の数を納得していなかったんだから中学生が悩むのは無理もないとまず慰められる。無理数も本当は認めたくなかったのだと言われると数学者が身近になり、そのうえで、長い間数学者が考え抜いてわかってきたことなのだからと説明されれば、なるほどである。こうして「本当にあった『空想の数』」の章で語られる虚数まで、思いがけず頭がついていき、素数微積分も楽しんだ。

 最終章「『難しさ』『美しさ』を測る」では、5次方程式という難問に挑む若いガロア(決闘により20年の生涯)が、答えは出せなかったけれどその性質を調べるために「群」という概念を考え出す経緯が語られ、心動かされた。日常には関係ないが、若くなくてもこれを知ってよかったと思う。

 数学と民主主義は古代ギリシアで誕生した。数学は権威に頼らず、論理で真実を見出(みいだ)し自分で自由に考える方法であり、民主主義と共に現れたのは偶然ではないという指摘は興味深い。そして、「情報の洪水に押し流されず、本質を捉え、新しい価値を創造するためには、自分で考える力がこれまで以上に大切になります」と終わる。

 実はウィルソン先生、二通目で数学をとり上げ、科学者を志す若者に数学が苦手でも大丈夫な分野があるし、必要なら数学者の協力を得なさいと助言する。ありがたいが、大栗先生の本を読むのもお勧めだ。
    −−「今週の本棚:中村桂子・評 『若き科学者への手紙−情熱こそ成功の鍵』『数学の言葉で世界を見たら−父から娘に贈る数学』」、『毎日新聞』2015年04月19日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/m20150419ddm015070006000c.html








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