覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『唱歌「ふるさと」の生態学−ウサギはなぜいなくなったのか?』=高槻成紀・著」、『毎日新聞』2015年04月26日(日)付。

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今週の本棚:池内紀・評 『唱歌「ふるさと」の生態学−ウサギはなぜいなくなったのか?』=高槻成紀・著
毎日新聞 2015年04月26日 東京朝刊

 ◆池内紀(おさむ)評

 (ヤマケイ新書・864円)

 ◇失われた原風景

 生態学者がたのしい思いつきをした。よく知られた唱歌「故郷(ふるさと)」を保全生態学の立場から読み解いてみるのはどうだろう? 生物と環境を考える上で、歌詞が願ってもない手びき役をしてくれるのではなかろうか。

 生態学は生物学から生まれた新しい分野であって、環境の変化が動物や植物にどのような影響を与えたかを研究する。二○世紀後半の自然破壊のすさまじさに対する危機感から「保全生態学」が誕生した。そこで半生を過ごした人から見ると、おなじみの唱歌が研究テーマをそっくり明示している。「ウサギ追いし」は山の変化、「小ブナ釣りし」は川の変化、「山は青き」は森林の変化、二番の出だしの「いかにいます父母」は社会の変化。

 「故郷」は作詞・高野辰之(たつゆき)、作曲・岡野貞一、大正三(一九一四)年に発表された。高野は長野県の農家の生まれ。おのずと歌詞には当時の農村の暮らしがこめられていただろう。岡野は鳥取県出身で、キリスト教信仰の家庭に育った。幼いころになじんだ賛美歌が曲のつくりに及んでいるといわれるが、たしかに「故郷」は日本人の国民的賛美歌ともいえそうだ。

 ふるさとを思う歌がまずウサギで始まっているのは、野生のウサギがいたるところにいたからである。唱歌がつくられた当時にかぎらず、いま、ある世代以上の人は、山道などで肝を冷やしたことがあるだろう。ガサッと音がして、やにわに丸まったものが目の前を走り抜けた。まさに「脱兎(だっと)のごとく」すっとんでいく。ウサギとわかれば安心で、肝を冷やしたのがおかしくなった。大きな耳をもつのだから足音を聞きつけたはずで、どうして先に身を隠していないのだろう?

 「一九八○年代くらいを境に、ウサギが急に減ったと感じるようになった」

 生態学者は林業被害の面から見ていった。戦後、一九六○年代まではウサギとネズミによる被害面積が甚大だが、以後は急テンポでへっていった。一九八○年代以後はきわめて少なくなり、かわってシカの被害がふえていく。

 なぜウサギがいなくなったのか。すぐに環境汚染や狩猟を原因と考えがちだが、そうではなく、山に茅場(かやば)がなくなったのが大きいという。茅、つまりススキやヨシのしげる平原。屋根を葺(ふ)く茅、家畜の飼料、荷造りのクッション。いろいろ用途があり、茅場を取り込むかたちで里山が成り立っていた。用途を失って放置されると、とたんに木が侵入してススキは消えていく。ウサギには安住の場がなくなった。

 おおかたの日本人が「心のふるさと」というとき、思い浮かべる風景がある。茅葺きの農家、よく耕された田や畑、まわりの屋敷林、背後の山。農地は作物、屋敷林は材木、山は炭焼き。調和のとれた美しい景観は、暮らしのシステムが安定していたなかで維持されてきた。茅場の消滅一つからも、さまざまなものが見えてくる。近年の山里ではイノシシの被害がしきりに言われる。私はイノシシのような大型の動物がなぜ里に出没するのか、いぶかしく思っていたが、生態学的にはウサギに代わり、イノシシに「もってこいの条件」がととのっているのである。

 東日本大震災後に福島県阿武隈山地北部を調査した報告が、ひときわ印象深い。「山も川も、田んぼも畑も、家も道路も、見た目には何も変わっていない」。だが「避難指示地域」の名のもとに、もはや人は住めなくなった。数百年にわたる努力のもとにつくられてきたふるさとが一瞬にして失われた。いまや「故郷」を歌うのが犯罪であるような時代なのだ。
    −−「今週の本棚:池内紀・評 『唱歌「ふるさと」の生態学−ウサギはなぜいなくなったのか?』=高槻成紀・著」、『毎日新聞』2015年04月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150426ddm015070005000c.html


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