覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 平和のための戦争=湯浅誠」、『朝日新聞』2015年04月29日(水)付。

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くらしの明日
私の社会保障
平和のための戦争
自衛隊海外派遣へ新法案

湯浅誠 社会活動家


 象徴的なネーミングだと思った。
 「国際平和支援法」のことだ。内容は、有事の際に米国等に後方支援を行うこと。要は、空爆するための戦闘機が飛び立つ空母に弾薬を運ぶ仕事を自衛隊がやります、ということだ。
 世の中には「戦争を支援するのに『平和』とはごまかしだ」という意見もあるようだが、私の印象は違う。ストレートな、体を表した名だと思った。
 古今東西、戦争は「平和のため」にやるものだった。「戦争したいからするんだ」と戦争を始めた人がいるとは思えない。それはいつも、「やむにやまれず」「相手の理不尽にこれ以上耐えられず」「圧政に苦しんでいる人々を救うため」「○○という崇高な理念を実現するため」に行われてきたんじゃないだろうか。少なくとも主観的には。
 戦争と平和は対立しない。戦争は平和を確立するために避けては通れない一プロセスである。平和は黙って待っていれば訪れるものではない。不断の、あらゆる努力によってつくられ、維持されるものだ。あらゆる努力には戦争も含まれる。平和のためにこそ戦争をするのだ。少なくとも主観的には。
 だから、空爆する空母に弾薬を持っていくのは、平和をつくる行為を支援することだ。ときにはそういうこともやらなければ、平和はつくれない。だって相手には理屈や説得は通じないのだから。基本的な価値観をまったく共有せず、人を人とも思わないモンスターなのだから。少なくとも主観的には。
 そうして、世界各地で戦争は繰り返されてきた。別に特別なことではない。多くの国がやってきた、ふつうのことだ。私たちの日本もふつうの国だ。だから平和のためには戦争をする。だから「国際平和支援法」。何の問題もない。このネーミングには一片のごまかしもない。少なくとも主観的には。
 ――こう考えてくると、つくづく思うのは憲法9条の特殊性だ。あれは「平和のためであっても戦争はしません」と謳っている。たしかにふつうじゃない。だから世界を見渡しても、まれにしかない。平和のためには戦争するとうたった「国際平和支援法」の精神、そこに表れた政府の意向とは相いれない。
 だから変えなきゃいけない。少なくとも主観的には。……となるのか、どうか。私たちが決断を迫られる日は近い。空母に弾薬運ぶ行為から一緒に空爆に飛び立つ行為まではあと一歩、というのと同じくらい近い。
 あなたの主観はどうだろうか。
国際平和支援法案 自衛隊の海外派遣をいつでも可能にする法案で、国際紛争に対処する他国軍に対し、自衛隊による給油や物資輸送など後方支援を随時可能にする。例外なく国会の事前承認を派遣要件にすることで与党協議会は大筋了承した。政府は5月中の閣議決定を目指している。成立すれば自衛隊の活動範囲は大きく広がる。
    −−「くらしの明日 私の社会保障論 平和のための戦争=湯浅誠」、『朝日新聞』2015年04月29日(水)付。

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