覚え書:「今こそ遠藤周作:レッテル嫌い、落ちこぼれに愛 現代の「善魔」へ寛容さを問う」、『朝日新聞』2015年05月04日(月)付。
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今こそ遠藤周作:レッテル嫌い、落ちこぼれに愛 現代の「善魔」へ寛容さを問う
2015年05月04日
人間の弱さを考えた作家。その問題意識が、他者への不寛容が広がる現代を照らす。
「彼の行動の多くは、理解に苦しむものだった。だが、わたしたちはそうではない、彼は特殊なのだ、といえるだろうか」。シリアの日本人人質事件で犠牲になった湯川遥菜さんについて、作家の高橋源一郎さん(64)は朝日新聞「論壇時評」にそう書いた。「みんなと同じ、強い信念を持たない普通の人。だからこそ救う必要がある」と話す。
確固たる自己を持てぬ人を繰り返し描いたのが遠藤周作だった。江戸期の切支丹弾圧が題材の小説『沈黙』(1966年)の脇役キチジローは象徴的な人物だ。切支丹の彼は役人の圧力に信念を曲げ、あっけなく棄教する。そして潜伏するポルトガル人司祭の居場所まで密告してしまう。
今なら「裏切り者」とネットで「炎上」しかねない。でも、共感を覚えてしまうのはなぜだろう。
遠藤周作の担当編集者だった作家の高橋千劔破(ちはや)さん(72)は「遠藤さんは決して、一つの価値観だけで登場人物を描かなかった」と話す。現代は「キャラ」を大切にする社会だ。キャラクターを際立たせようとすると、人物像は一つに規定しがちになる。
遠藤はそれを嫌い、「人は七つの顔がある」とよく語っていたという。「安易にレッテルを貼らず、前、横、斜めから見ようとしていました」
「落ちこぼれ」にも優しかった。遠藤が作った素人劇団「樹座(きざ)」は、団員50人の募集に3千人が殺到するほどの人気だった。採用したのは、実技で顔を真っ赤にしてしどろもどろになるような人ばかり。「真剣にやって失敗する人は絶対に責めなかった」
その姿勢は作品を貫く。漫画『ドラゴン桜』などの編集を手がけ、作家のエージェント会社「コルク」を立ち上げた佐渡島庸平さん(35)は、学生の頃に全集を購入するほど愛読。社会人になってからも心にとめてきた。「ただ弱くて良いのではなく、弱い人を許せることが大事。本当の強さは従えることではない」
例えば74年のエッセーに「善魔について」がある。善魔は、自分の宗教や主義だけが正しいと思う人のことだ。
〈彼らはいつも正義の旗じるしをかかげる。そしてそれに少しでも従わぬ者や、自分にくみしない者を悪の協力者と見なしてしまうのである。(略)自分の主義にあわぬ者を軽蔑し、裁くというのが現代の善魔たちなのだ〉
21世紀にも「善魔」はいる。イスラム過激派組織は、異教徒をためらいなく殺害する。対して米国は「正義」の名の下に空爆を繰り返す。
「善魔」のような振る舞いは止められるのか。『深い河』(93年)は、失敗や苦悩を抱えた5人の主人公が、インドを訪ねる物語だ。ガンジス川が彼らの業を包み込む。
遠藤文学とキリスト教の関係に詳しいノートルダム清心女子大教授の山根道公(みちひろ)さん(54)は「どの宗教を持つ人にも手を差しのべる世界に、主人公を連れて行った」と感じた。それが未来にあるべき姿、との願いを込めて。「こちらが善、相手を悪と見る限り、暴力の連鎖は止まらない。寛容と謙虚の大切さを教えてくれます」
(高津祐典)
<足あと> 1923年、東京生まれ。12歳の時に洗礼を受ける。旧制灘中卒業後、3浪して慶応大に入学。肺病を抱えながら、キリスト教をテーマに創作を続けた。55年「白い人」で芥川賞。58年『海と毒薬』で毎日出版文化賞など。狐狸庵(こりあん)山人を自称したユーモア作品も残した。95年に文化勲章。96年に死去した。
<もっと学ぶ> 長崎市の遠藤周作文学館は、生涯の歩みや直筆原稿などを紹介。定期的に文学講座も開いている。愛読者が集う周作クラブ(加賀乙彦会長)も、セミナーなどを開いている。作品は『遠藤周作文学全集』(新潮社)にまとめられている。
<かく語りき> 「本当の大人というのは、自分のすること、なすこと、必ずしも正しくないということを身にしみて知っている存在である」(エッセー集『勇気ある言葉』から)
◆過去の作家や芸術家などを学び直す意味を考えます。来週はロシアの劇作家、チェーホフの予定です。
−−「今こそ遠藤周作:レッテル嫌い、落ちこぼれに愛 現代の「善魔」へ寛容さを問う」、『朝日新聞』2015年05月04日(月)付。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S11738049.html