日記:南原繁にとっての「宗教」

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献本御礼。

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 南原は、宗教の重要性を非常に強調しました。南原が受けた宗教は、内村鑑三から学んだキリスト教でありましたが、矢内原忠雄のように、キリスト教の宣教活動につとめたわけではなく、宗教そのものの大切さを訴えました。これは、憲法に規定された信仰の自由を重視し、いろいろな宗教が同じような価値をもって存在している現実の認識に立脚していると思います。私が南原に会った時、「自分はキリスト教というよりも聖書中心だが」「新渡戸稲造に出会わなかったら、自分も無教会の旗頭になっていたかも知れない。」と話されたことが印象に残っています。南原の信仰は、聖書中心、純福音主義キリスト教でありました。
 また、晩年の三本松高校における講演では、トインビー(イギリスの歴史か、一八八九−一九七五)の思想として「宇宙の背後の究極の実在者」という考え方を紹介しています。
 南原は、自分のキリスト教に対する考え方は終生変わりませんでしたが、他の人にたいしては、宗教の必要性を説き、トインビーのような考え方に発展したと考えてよいと思います。筆者がお会いした時には、「仏教でも何でもよいのだが」と言われました。キリスト教も、仏教も、イスラム教も、宇宙の背後にある絶対者の下にあると考えるわけです。
 昭和四十四年の富山県小杉高校における講演の中では、自分が新渡戸稲造内村鑑三に教わったことを述べたあと、「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の宮沢賢治(一八九六−一九三三)のことを述べ、彼が死ぬ間際、法華経一千冊を友人知人に配って欲しいと言って死んだことを紹介しています。
 また、南原は、昭和三十五年三月のNHKの放送「宗教は不必要か」の中で、「宗派を問わず、およそ真実の宗教であるならば、すべての信徒は、直接、神の前に平和を守る責任を持っているはずである。それは現代宗教の直面している喫緊の課題である。」と述べて、平和を希求する宗教が真実の宗教であるという考えを述べています。
 科学技術が進み、宗教を否定する合理主義的な考え方あるいは宗教無関心論が広まっている今日、あえて宗教の意義を強調した南原の思想こそ、最も見直されるべきではないだろうかと思います。
    −−山口周三「南原繁の今日的意義 平和・教育・宗教・現実的理想主義」、新渡戸・南原賞委員会編『新渡戸・南原賞委員会シンポジウム 新渡戸稲造南原繁と現代の教養』新渡戸・南原賞委員会、2015年、63−64頁。

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