覚え書:「特集ワイド:いま、井上ひさしを読む 存命なら何を語るのか」、『毎日新聞』2015年05月11日(月)付夕刊。


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特集ワイド:いま、井上ひさしを読む 存命なら何を語るのか
毎日新聞 2015年05月11日 東京夕刊

(写真キャプション)時代が変わろうとしている今、井上ひさしさんは何を語るのだろうか=東京都千代田区上智大学で2002年4月22日、山下浩一撮影

 作家・劇作家の井上ひさしさん(2010年4月9日没)が他界して5年が過ぎた。この間、東日本大震災福島原発事故があり、安倍晋三政権は集団的自衛権の行使を認める閣議決定をした。わずか5年前がなんだか違う時代のよう。なぜだろう。今、この人の本が読みたい。【太田阿利佐】

 ◇沖縄やTPPに重なる「吉里吉里人」/安倍内閣と「兄おとうと」/とりわけ大切にした笑い、平和憲法、広島・長崎の被爆体験…

 井上さんのふるさと、山形県川西町(旧小松町)で開かれたしのぶ会「吉里吉里忌(きりきりき)」に足を運んだ。

 JR山形新幹線米沢駅で降り、米坂線に乗り換える。置賜(おきたま)盆地の田んぼの中を、2両編成の列車がトコトコ走っていく。途中の駅から、バラ色のほっぺたの中学生たちが乗ってきた。

 ふと小説「吉里吉里人」(1981年)の冒頭を思い出す。列車がキキーッと止まり、「列車強盗ではねぇのっす」と言いながら吉里吉里国の国境警備の少年が拳銃を手に乗り込んでくる……東北の小さな村が突如独立を宣言する奇想天外なこの小説。農民は独立理由を方言でこうぶちまける。「日本国(ぬほんのくに)の国益(こぐいえぎ)だが言(ゆ)う物(もん)、もう真平(まつぴら)なんだっちゃ。『国益の為(たんめ)だ、増産すろ!』『国益の為だ、減反すろ!』『国益の為だ、広域営農団地(こーえぎえーのーだんつ)ば作れ、企業化すろ、機械化(ちけーか)すろ、大型化すろ、単作化すろ!』(中略)『国益の為だ、文句ば言っても仕方無(すかたね)べ!』……」「お前様方(めさまがた)の国益ば立てて居(え)だら俺達(おらだづ)ァそのうぢに乞食(ほいと)よ、褌(ふんどし)も買えねぐなんべ」

 なんだか環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉に反対する農村から聞こえてきたみたいだ。

 井上さんはふるさとで、88年から市民勉強会「生活者大学校」を開いてきた。没後も続けられ、4月18日に28回目の会が川西町フレンドリープラザで開かれた。農業家で作家の山下惣一さんと、憲法学者樋口陽一さんが「井上ひさし憲法」をテーマに講演。翌19日が「吉里吉里忌」で、劇作家の永井愛さんや平田オリザさん、作家の浅田次郎さんらが登壇した。2日間の参加者は延べ約1000人。会場では「今生きていたら、井上さんは何を語っただろうか」がしきりに問われた。

 自ら徹底的に調べて書く。しかもおもしろく、笑いとともに。小説でも戯曲でも、それが井上さんのやり方だった。テーマが決まると東京・神保町の古本屋街から関連本が姿を消す、と言われたほど。広島原爆で死んだ父親が、幽霊になって娘の恋の応援団長として活躍する喜劇「父と暮せば」(94年)は、数百編の被爆者の手記や記録を読み込んで書き上げられた。従軍記者として働き、激しく後悔する林芙美子を描く「太鼓たたいて笛ふいて」(2002年)も膨大な資料の上に執筆された。

 永井さんは「井上さんほど貧しさについて、戦争について書いた劇作家はいただろうか。例えば歌あり、笑いありの芝居をつくりながら東京裁判の本質、意味を説明しようとする。とんでもなく難しい。でも井上さんは伝えたかった。戯曲としての完成度を犠牲にしてでも伝えたかった。『何を書いたか』が井上ひさしを表している」と語った。

 平田さんは「井上さんは90年代半ば以降、日本の将来を非常に心配するようになった」と話す。96年に作家、司馬遼太郎さんが亡くなった翌日、ラーメン屋で井上さんと会った。「司馬さんは日露戦争までは書いたが、それ以降は書かなかった。ノモンハン事件(39年)を書こうとしたけれど、残酷過ぎて書けなかった。井上さんには、司馬さんと同じになってはダメだという感覚があったようだ」と振り返る。

 それほど危機感を持ち、伝えたかったことは何か。作品を読み返すと次から次へと気になるセリフが出てくる。

 例えば、大正デモクラシーの旗手、吉野作造と高級官僚の弟を描いた戯曲「兄おとうと」(03年)。作造は言う。「国民の未来を決める重大なことがらが次から次へと、議会の外で(、、、、、)決められている」「政治の流れを帝国議会へ引き戻せ。財閥の番犬に甘んじている政党に喝を入れろ。自分かわいさに志を失っている議員諸公の尻をひっぱたけ。そうしないと、宮城(きゅうじょう)と軍人どもが、間もなくこの国を地獄へ引きずり落としてしまうぞ」

 「吉里吉里人」では、公用語を標準語ではなく方言にする理由を登場人物にこう語らせる。

 「わたしたちはもう東京からの言葉で指図をされるのはことわる。わたしたちの言葉でものを考え、仕事をし、生きていきたい」「わたしたちがわたしたちの言葉でものを考えはじめるとき、中央の指図とはまっこうからぶつかる。そのようなとき、これまでわたしたちは泣く泣く標準語や共通語に自分の頭を切りかえたのだった」

 これは辺野古への米軍普天間飛行場移設に抵抗する沖縄の人々の声ではないか。作造の声は井上さんの怒りそのものではないか。権力は、時に民主主義や国民の声を押しつぶす。それに屈してはならない。そう警告し続けた。

 だが、作品は決して堅苦しくない。吉里吉里国は、ポルノを全面解禁して好色立国!を目指す。東京裁判を庶民の目で見た「夢の泪(なみだ)」(03年)の主人公は言い切る。「あの悲しい戦争体験から引き出されるべき教訓はただ一つです。すなわち、『明日のことはわからない、今ある酒は今日のうちに呑(の)め』」

 4歳で父を亡くし、10歳で敗戦(決して終戦とは呼ばなかった)。一時、児童養護施設で過ごし、浅草のストリップ劇場で働いたりしながら劇作家の道を歩んだ。「笑い」こそ人生の救い、と知っていた。言葉と、平和憲法と、広島・長崎の被爆体験をとりわけ大切にし、04年の「九条の会」の発足記念講演会では「最後の何人になろうとも9条を守る決心です」と語った。

 「生活者大学校」で、樋口さんは「安倍政権は憲法改正のため、その手続きを定めた96条をまず変えようとして『裏口入学』と非難された。だが今行おうとしているのは裏口どころか『玄関破り』だ。集団的自衛権行使容認の閣議決定に基づいて安全保障法制を変えるというが、閣議決定はまだ法ではなく、国会軽視もはなはだしい」と厳しく批判した。そして虐げられた人々を描いた作家、小林多喜二をテーマにした最後の戯曲「組曲虐殺」(09年)を引き「井上さんは『後に続く者を信じて走れ』と書いた。彼とともに歩きましょう」と呼び掛けた。

 大きな拍手が湧いた。

 会場のどこかに、井上さんがいる気配がした。
    −−「特集ワイド:いま、井上ひさしを読む 存命なら何を語るのか」、『毎日新聞』2015年05月11日(月)付夕刊。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150511dde012040003000c.html


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