日記:日独の戦争メモリアル・デーの違いが導く現在

Resize2342

        • -

 広島と長崎に原爆が落とされた8月6日、8月9日と並び、日本人にとって8月15日の終戦記念日は、決して忘れてはいけないメモリアル・デーだ。
 そう説明してから、ならばドイツのメモリアル・デーはいつでもすか、と僕はベルリン自由大学の学生たちに質問した。「確かベルリンが陥落してヒトラーが自決したのは5月でしたよね。その日がメモリアル・デーになるのかな」
 でも学生たちは首を横に振る。
 「その日はドイツにとって重要ではありません。私たちのメモリアル・デーは1月27日です」
 学生たちはそう言った。でも僕には、それが何の日かわからない。
 「その日には何が起きたのですか」
 「アウシュヴィッツ絶滅収容所が連合国によって解放された日です」
 そう言ってから、「それと1月30日も、ドイツにとってはナショナル・デーです」と学生たちは続けた。
 「それは何の日ですか」
 「ヒトラー内閣が誕生した日です」

(中略) 

 日本のメモリアルは広島と長崎。つまり被害の記憶だ。そして戦争が終わった日。ドイツのメモリアルは、ナチスドイツが行っていたユダヤ人虐殺。つまり加害の記憶。そして戦争が始まった日。
 ほぼ真逆だ。この違いはとても大きい。かつて同じように全体主義国家となって同盟を結んだ日本とドイツは、同じように敗戦国になったけれど、何をメモリアルにするかで、戦後のありかたがまったく変わってくる。
 もちろん、戦争の被害を伝え、語り継ぐことはとても重要だ。特にヒロシマナガサキは、世界で唯一の核兵器の被害の記憶であり、その実態を伝えることが間違っているはずはない。どれほどに凄惨な被害を受けたのか、どれほどに悲惨な状況になったのか、どれほど多くの人が死に、そして苦しんだのか、もっともっと大きな声で世界に伝えるべきだ。
 でも戦争は被害だけではない。当たり前だけど加害もある。それも語り継がねばならない。特に加害の場合は、意識的に記憶して語り継ぐ必要がある。なぜならば被害は記憶しやすい。だって痛いし悔しい。だから殴られたことは誰もが覚えている。ところが加害は記憶しづらい。殴ったことは後ろめたいし責められて不都合だからだ。できることなら忘れたい。なかったことにしたい。
 でもどちらかひとつだけでは、戦争の本質を語れない。
    −−森達也『たったひとつの「真実」なんてない メディアは何を伝えているのか』ちくまプリマー新書、2014年、37ー41頁。

        • -





Resize2349