覚え書:「今週の本棚:磯田道史・評 『帳簿の世界史』=ジェイコブ・ソール著」、『毎日新聞』2015年05月17日(日)付。

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今週の本棚:磯田道史・評 『帳簿の世界史』=ジェイコブ・ソール著
毎日新聞 2015年05月17日 東京朝刊

 (文藝春秋・2106円)

 ◇会計とは「見える化」だ

 私の『武士の家計簿』が映画化された時、妻が確定申告をやってくれた。ところが、数字がおかしい。私は言った。「資産の減価償却を計上していないじゃないか」。妻いわく「ゲンカショウキャクって何?」。妻は複式簿記を知らなかった。現金の出入り増減だけを記録するのが単式簿記。現金の出入りにともなって変動する資産の現在価値まで表せるのが複式簿記だ。

 この複式簿記こそが、人類史の展開にとって決定的に重要な影響を及ぼしたのだ、と本書はいう。ルイ一六世が断頭台に露と消え、フランス革命が起きたのもそうだ。ルイ一四世の時代には、複式簿記に通じた会計顧問コルベールが王に会計を叩(たた)きこんでいた。しかし、会計は愉快ではない。すぐに、その習慣がなくなり野放図な財政をやって民衆の恨みを買い、革命が起きた。複式簿記は、イタリアの商業都市国家、とりわけジェノバで発達した。君主制や貴族主義は会計の敵である。商業をやる市民が横に連帯し、共同で国家や会社を運営するときに、複式簿記の会計文化が発展し繁栄のもとになる。それはそうだろう。経済を発展させるには、多数者から出資を募るのがよい。赤の他人に大事な金を任せるのだから正確な会計報告がないとできない。また多数の出資者に利益を分配するには、資産がどう増減し利益損失がどうかをリアルタイムで把握する必要がある。それゆえ、複式簿記こそが資本主義の父母になった。イタリアの商業都市の繁栄もオランダ黄金時代も複式簿記がつくったものだと著者はいう。

 しかし、複式簿記による誠実な会計は、なかなか根付かない。君主にとって会計の透明性は政権運営の「あら」が全部みえてしまうから危険だ。歴史の教訓はこうだ。会計責任を明確化すれば、たしかに国家や会社の繁栄につながる。しかし、そんな会計改革は猛烈な抵抗にあってきたし、たとえ一旦、まともな会計体制ができたとしても、それをすぐに押し戻す流れができ、とんでもない会計が行われる。会計には三悪がある。会計を怠る、無視する、操作する、だ。

 本書は、それで国が滅んだ例をたくさん示している。無敵艦隊を誇ったスペインの没落、フランス・ルイ王朝の滅亡、そして、大恐慌から現代のリーマン・ショックまで、怠る無視する操作するの、会計三悪をやってしまったことが、破滅の直接間接の原因になっている。

 現代は会計士も多く会計技術も発達している。しかし、著者は今こそ危ない、人類は会計の罠(わな)に、はまる、とみている。金融テクノロジーの発達に会計は追いついておらず、複雑な金融商品にはお手上げ状態であり、それでリーマン・ショックがおきた。もう一つ著者の心配がある。「中国は会計責任を果たさない超大国」で誠実な会計文化を根付かせぬまま世界経済におけるシェアを拡大しつづけているという。では、どうすれば、いいのか。会計が文化の中に組み込まれていると「おぞましい『清算』の日」を迎えずに済むのだという。本書を読んだうえで「会計とは何か」と問われれば、私はこう答える。会計とは計算することでも帳簿に数字を記入することでもない。会計とは見えるようにすること、つまり「見える化」である。見ようとして歩く者には良い未来があるが、会計をせず、わざと目をつぶって歩いた者はいつも崖下に落ちてきた。だからこそ、国家や組織を統べる者、人生にまじめな者は、執念でもって真実に近い会計数字を見ようと努めねばならないのだ。(村井章子訳)
    −−「今週の本棚:磯田道史・評 『帳簿の世界史』=ジェイコブ・ソール著」、『毎日新聞』2015年05月17日(日)付。

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