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今週の本棚:佐藤優・評 『キム・フィルビー−かくも親密な裏切り』=ベン・マッキンタイアー著
毎日新聞 2015年05月24日 東京朝刊

 (中央公論新社・2916円)

 ◇虚実入り交じるスパイの亡命劇

 東西冷戦期、西側にもっとも大きな打撃を与えたソ連のスパイは、SIS(英国秘密情報部、いわゆるMI6)で、対ソ諜報(ちょうほう)の責任者だったキム・フィルビーだ。英紙『タイムズ』のコラムニストであるベン・マッキンタイアーは、詳細なインタビュー取材と文献調査に基づいて、長期間にわたって、祖国、友人、家族を裏切ることができる人間を総合的にとらえようとする。

 父親に対する反発、共産主義へのイデオロギー的共感などは、それなりに重要な要因であるが、決定的だったのは、フィルビーをスパイにリクルートしたソ連工作員オットーの人間力だ。オットーの本名は、アルノルト・ドイッチュで、この男が後に世界を震撼(しんかん)させることになるソ連のスパイ網をケンブリッジ大学に作る。<「私の未来は夢に満ちあふれているように見えた」とフィルビーは書いている。その未来の具体像を、ドイッチュが設計した。まず、フィルビーとリッツィ(評者註(ちゅう)*フィルビーの最初の妻)は共産主義者との付き合いをすべてやめなくてはならない。共産党に入るなどもってのほかで、むしろフィルビーは新たな政治的イメージとして、自分は右派だと周囲に思わせ、さらにはナチの同調者だと信じ込ませたほうがいい。とにかく表面上は、自分が猛烈に反対している、まさにその階級の典型的な一員にならなくてはならない。「経歴、教育、外見、物腰、いずれを取ってみても、あなたは知識人であり、ブルジョワです。前途も有望です。ブルジョワとして有望なのです」と、ドイッチュは告げた。「反ファシスト運動には、ブルジョワジーに入り込める人物が必要なのです」。支配階級の中に隠れることで、フィルビーは革命を「現実的かつ明白な形」で支援できる。ドイッチュはフィルビーに、スパイ術の基本も指導した。会合を手配する方法に始まり、メッセージを残すべき場所、電話が盗聴されているかを見破る方法、尾行の見分け方とまき方など、その内容は多岐にわたった。新型のミノックス超小型カメラをフィルビーに与え、文書をコピーする方法も教えた。フィルビーは、ドイッチュの教えを「まるで詩」を暗記するかのように習得していった。かくして彼の二重生活が始まった>。フィルビーに対しては、ソ連のスパイでないかとの疑惑が英国の保安機関から何度もかけられたが、それを切り抜けることができたのは、上流階級に属する紳士としての立ち居振る舞いが本物だったからだ。スパイにとって、見た目が重要だという教訓だ。

 これまでに刊行されたフィルビーに関するノンフィクション、同人をモデルにしたスパイ小説と比べ、本書で興味深いのは、1963年1月23日にレバノンの首都ベイルートからフィルビーがソ連の貨物船に乗り込んで、亡命したのは、英国がそう仕組んだからであるという推理を展開しているところだ。<フィルビーのモスクワ逃亡については、一八〇度異なる二つの解釈がある。一つ目の解釈では、フィルビーはスパイの達人で、エリオット(評者註*MI6のフィルビーの友人)はバカである。二つ目はその逆で、フィルビーがバカで、エリオットが達人だ。一つ目のシナリオでは、フィルビーが決断を下し、イギリス情報機関の目がそれるのを待って逃げ出したことになる。亡命が容易だったのは、フィルビーいわく、イギリス側のへま、つまり「失敗、純然たる愚かさ」のせいである。ただし、この説明が成り立つためには、MI6は無能で考えが甘かっただけでなく、どうしようもないほど間抜けだったとも考えなくてはならない。第二の、もっと現実味のある解釈では、次のようになる。エリオットは自白を引き出すことに成功し、これによってフィルビーはMI6の統制下に入った。エリオットは、フィルビーが今後も自由の身でいられるかどうかは、これからも協力し続けるかどうかにかかっていると明言した。その後、おそらくはディック・ホワイトの黙認を得てのことだろう、その場を離れ、ランがスキーへ出かけるという噂(うわさ)を広め、そしてフィルビーに、今がチャンスで、モスクワへの道は大きく開けていると信じさせたのである。/最後に勝ったのはフィルビーではなくエリオットだと考えた者の一人に、当のキム・フィルビー本人もいた。彼はベイルートを離れるとき、自分から飛び出したのだと考えていた。しかし後になってフィルビーは、自分は後ろから押し出されたのだと信じるようになっていった>

 スパイ事件では、「ほんとのような嘘(うそ)」と「嘘のようなほんと」が混ざり合う。様々な神話が生まれ、真相がわかりにくくなる。「結局、誰がいちばん得をしたか」という観点から、フィルビーのソ連亡命について考察してみると、確かに彼をソ連に追い出すことで、捜査や裁判で余計な真実が明らかになり、混乱が拡大する危険を英国は防ぐことができた。ソ連亡命後のフィルビーをKGBソ連国家保安委員会)は、宣伝の道具として用いたに過ぎない。「厄介者を押し付けられた」というのがソ連の本音だったのだろう。(小林朋則訳)
    −−「今週の本棚:佐藤優・評 『キム・フィルビー−かくも親密な裏切り』=ベン・マッキンタイアー著」、『毎日新聞』2015年05月24日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150524ddm015070003000c.html


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