日記:内村鑑三と吉野作造に対する誤解について

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キリストの幕屋的な立場から、ことさら内村鑑三の二つのJを取り上げ、吉野作造の普遍志向を「西洋かぶれ」って批判する流れ。この誤解、百年ずーっと続いている。内村の二つのJはネトウヨがありがたがる「この世のもの」をすべて無効化することで成立するし、吉野の普遍志向は西洋かぶれでもない。

内村鑑三吉野作造で共通するのは、この世の重力をすべて無効化してしまうことから議論を始めること。具体的な組み立てとして晩年の再臨運動にみられる内村は、なしえようとする努力すら無効化してしまうが、思うにそれは撤退ではない。人間存在そのもののもつ傲慢さを退ける試みでもある。

では、吉野作造の普遍志向とはなにか。これ西洋かぶれではなく、文化横断的な、ア・ポステオリに獲得されてきた人類の叡智への憧憬とそれを実現させゆく漸進主義。吉野の普遍志向とは、安直な東西対比とは無縁。そのことは吉野自身が誰にもして厳しいキリスト教・教会批判をもっていたことからも伺える。





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