覚え書:「今こそ山下清:傑出した色彩感覚と細密さ」、『朝日新聞』2015年06月22日(月)付。

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今こそ山下清:傑出した色彩感覚と細密さ
2015年06月22日

 「放浪の画家」は、美術と障害者福祉、大衆文化が交わる場に立っている。

 障害者らによる美術表現を意味することが多い「アール・ブリュット」。東京都が2020年に向けて策定した東京文化ビジョンは、その発表の場を設けることをうたう。滋賀県が19年度内の開館を目指している美術館でも、柱の一つとなっているのだ。

 障害のある人々による、優れた表現への注目が高まっている。そうした動きの、日本での原点としたい人物といえば、「裸の大将」として知られる山下清だろう。

 軽い知的障害があったとされる山下は、千葉県の養護施設で小さく切った色紙を貼って描く「貼絵」を始め、色彩感覚と構図に傑出した才能を示した。戦前から「特異児童」の作品として美術界の注目を集めた一方、1940年ごろから放浪癖が始まる。

 そして戦後、「日本のゴッホ」「放浪の画家」と呼ばれ、56年から大ブームが訪れる。作品展は大盛況で、口癖の「兵隊の位になおすと」も流行語に。小林桂樹の映画や芦屋雁之助(がんのすけ)によるドラマで、独特の語り口、素朴で温かな人間像が強く定着した。

 そんなイメージを再考したのが、昨年出た『山下清と昭和の美術』(名古屋大学出版会)だ。著者の一人、服部正・甲南大准教授は、画家・安井曽太郎らにも高く評価された貼絵に独自性を見る。画中に小さく登場する作業員の弁当箱まで描く細密さだ。加えて「今も山下清展が多くの人を集めるのは、全国を歩いた山下の絵が、古きよき昭和へのノスタルジーになっているからだろう。写真とは違う、その場の空気感がある」。

 現代のアートとして論ずるのが、美術評論家椹木野衣(さわらぎのい)・多摩美術大教授だ。「岡本太郎アンディ・ウォーホルらのアートのあり方を先取りしていた」と話す。

 彼らに共通するのは本人に大衆的な人気があり、「生き方と表現が不可分に結びついている」点だ。表現自体も、「多くの視点を盛り込んだ構図や鮮やかな色彩は、英国のデビッド・ホックニーらと並べて論じた方がいい」。

 しかし一般には、山下の人物像も作品も、純粋で分かりやすいものとして語られがちだ。それは、フランス語のアール・ブリュットや英語のアウトサイダーアートの、日本での広がり方に重なる。

 本来は、既成の美術教育を受けていない人たちによる、時に反体制的な表現を指す。結果的に障害者の表現が多く含まれるのだ。それが日本では障害のある人によるアートとしてのみ扱われることがある。「無垢(むく)」「純粋」が強調されることも少なくない。

 椹木さんは、本来のアウトサイダーアートが持つ反規範的な力に、美術を切り開く可能性を見ている。そして、山下清にもその力がある、と。「放浪し、いつも1人。まさにアウトサイダーです」

 加えてこう指摘する。「西洋近代を中心とする美術の世界では、日本を含む非西欧圏は実はアウトサイダーです。それを忘れない方がいい」

 そう、私たちはみんな、1人で旅する山下清になりうるのだ。(編集委員・大西若人)

 

 <足あと> 1922年、現在の東京都台東区生まれ。小学校では言語障害をからかわれ、軽い傷害事件も。34年、千葉県の八幡学園へ。37、38年には早稲田大での展覧会で注目される。放浪が続き、54年には朝日新聞に捜索記事。56年の東京での個展は80万人を集め、人気者に。71年、「今年の花火見物はどこに行こうかな」という言葉を残し、脳出血で死去。

 <もっと学ぶ> 図版が多いのは『山下清作品集』(河出書房新社)や『山下清の放浪地図』(平凡社)。評伝に小沢信男『裸の大将一代記』(筑摩書房)。服部正・藤原貞朗による研究書などのほか、『山下清の放浪日記』(五月書房)も。

 <かく語りき> 「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」(『家族が語る山下清』)

 ◆過去の作家や芸術家などを学び直す意味を考えます。次週は映画監督・黒澤明の予定です。
    −−「今こそ山下清:傑出した色彩感覚と細密さ」、『朝日新聞』2015年06月22日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11819567.html



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