覚え書:「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『<ボラーニョ・コレクション>アメリカ大陸のナチ文学』=ロベルト・ボラーニョ著」、『毎日新聞』2015年06月21日(日)付。

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今週の本棚:鴻巣友季子・評 『<ボラーニョ・コレクション>アメリカ大陸のナチ文学』=ロベルト・ボラーニョ著
毎日新聞 2015年06月21日 東京朝刊

 (白水社・2700円)

 ◇作中人物を想起させる架空人物群

 作者の初期作にして、後の作品群を予見する、あるいはその助走となった要素や作中人物が満載された怪物の書だ。三十人の詩人・作家の短い伝記が並んでいるが、全て架空人物であり、詳述される内容も虚構。当然ながら、ボルヘスの空想悪党列伝『汚辱の世界史』、そのボルヘスを刺激したマルセル・シュオブの『架空の伝記』、シュオブにヒントを与えたオーブリーの『Brief Lives』といった架空文学の長き系譜を踏まえているだろうし、本書中の作品への架空批評には、レムの『完全な真空』やエーコの「涙ながらの却下」を想起する読者も多いだろう。

 体裁としては右翼文学への風刺だが、紹介される作品内容は左翼的に思えるものも多い。両者は合わせ鏡ということだろうか。頁(ページ)をひらけば、エデルミラ・トンプソン・デ・メンディルセなる女性詩人が登場する。結婚し文学サロンを開いて「南のランプ」社を創設。なんとなく社名だけで活動内容が臆測される卓抜なネーミングセンスは、全編で威力を発揮する。

 たとえば、彼女の娘ルス(『野生の探偵』の女詩人の原型か?)の最高傑作は「五十歳の黙示録」。ヴォルテールに始まりヘーゲルサルトルらに対する反駁(はんばく)本を生涯書き続けたソウザなるダメ教授による無学な娘との感傷的ロマンスは『敵対者の闘い』(ロスの『ヒューマン・ステイン』やロッジの『ベイツ教授の受難』ばりのキャンパスノベルだろうか?)。メキシコの女性詩人でフェミニズムカトリック主義の先駆者イルマ・カラスコの代表作は『雲の逆説』『火山の衝立(ついたて)』。ファシストSF作家ザック・ソーデンスターンは<第四帝国のサガ>などで知られるが、その第一シリーズは主人公の夢と幻視、「ナチ的性向を備え」た飼い犬との対話に彩られているらしい(この項は、ヒトラーがヒロイックファンタジーを書くという『鉄の夢』と、その作者で本書中にも一度言及があるノーマン・スピンラッドを想起させる)。ザックは後にボラーニョが遺(のこ)す覚書そっくりのメモを残す。あるいは、米国の南部詩人でアメフト選手のジム・オバノンは、黒人とユダヤ人と同性愛者を忌み嫌う保守強硬派にして、ビートニク詩人というちぐはぐさが可笑(おか)しい(パーツが悉(ことごと)くかみ合わないではないか!)。

 作者は本書に出てくる作品を一切引用しない。つまり、どんな文章・内容かは直接見せないのだ。あの『架空地名大事典』の著者マングウェルがこの点を批判しているのは実に意外である。書かないことで読み手の中に無限のバージョンを喚起しうる。とくに「国民的スポーツ」としての戦争など、数々のおぞましい提言をしたシルビオ・サルバティコなる二流文人の項において、その淡々とした語り口はスウィフトの歴史的問題の書『穏健なる提案』の空とぼけたトーンを思わせると評判だ。迂遠(うえん)にして「あるある感」を醸しだす絶妙な対象との距離。

 さて、最終章「忌まわしきラミレス=ホフマン」はこの章だけ短編小説のような筆致で書かれ、突然、「僕」という語り手が出てくるが……。後年の長編『はるかな星』に発展した一篇とのこと。それにしても面白いのは、ボラーニョの没年よりも、この邦訳が出た現時点よりも、ずっと先(二〇二九年等)に亡くなった人々がいることだ。全員故人という設定だから、ボラーニョはある面、近未来に生きる人々を、さらに先の未来から振り返る形で書いたことになる。作者は一体いつの時点にいるのだ? おそらく『2666』年だろう。(野谷文昭訳)
    −−「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『<ボラーニョ・コレクション>アメリカ大陸のナチ文学』=ロベルト・ボラーニョ著」、『毎日新聞』2015年06月21日(日)付。

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