覚え書:「書評:シベリア抑留 長勢 了治 著」、『東京新聞』2015年07月05日(日)付。

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シベリア抑留 長勢 了治 著

2015年7月5日

 
◆歴史的遠因まで及ぶ考察
[評者]陶山幾朗=評論家
 子どもの頃「私はシベリヤの捕虜だった」という映画を観(み)たことがある。また当時「異国の丘」は頻繁にラジオから流れていたし、「シベリア帰り」だった中学校教師は、授業の合間に私たち生徒にその体験を語った。「シベリア抑留」とは、このように戦後育ちの評者には、暗く悲痛な印象とともに記憶に残ってきたと言っていい。本書で新資料とともに描き出されるのは、その「シベリア抑留」の歴史的遠因、苛酷な実態、そしてそれを生んだ全体主義国家旧ソ連の犯罪的本質である。
 昭和二十年、敗戦によって日本軍が武装を解いた時、海外には軍人・一般人合わせて六百六十万の邦人が存在していたが、ポツダム宣言の「日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後各自の家庭に復帰し平和的且(かつ)生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし」により、米・英管理下の日本軍捕虜は、在留民間人を含めてほぼ二年後までには故国への引揚げを完了する。
 しかし旧満州では日ソ中立条約を破って侵攻したソ連軍により、降伏した関東軍軍人や民間邦人が自国領に連行され、労働力として使役される苛酷な運命をたどった。「生きた戦利品」として扱われた彼らを酷寒、重労働、飢餓が襲う。彼らはそこで初めて「ノルマ」という言葉に出合うが、そのノルマ達成に追われた犠牲の規模を、著者は従来数値より多い「抑留者数約七〇万人、死亡者数約一〇万人」と推定する。
 著者の批判的視線はソ連側の非を厳しく糾弾する一方、「民主運動」における「スターリン大元帥感謝文」運動のように、支配権力に過剰に迎合した日本人捕虜の体質に注ぐことも忘れていない。この時内地にあってソ連を賛美し、抑留を肯定的にとらえた左翼知識人の動向には触れられていないが、総じてこの歴史的悲劇の問題点はほぼ網羅されている。最近、厚労省から北朝鮮南樺太等での死亡者名簿が公表されたが、この問題が依然として未完であることを示す労作である。
(新潮選書・1836円)
 ながせ・りょうじ 1949年生まれ。抑留問題研究家。著書『シベリア抑留全史』。
◆もう1冊 
 ヴィクトル・カルポフ著『スターリンの捕虜たち』(長勢了治訳・北海道新聞社)。旧ソ連の公文書から抑留の真実と謎に迫る。
    −−「書評:シベリア抑留 長勢 了治 著」、『東京新聞』2015年07月05日(日)付。

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