覚え書:「二重螺旋—完全版 [著] ジェームズ・D・ワトソン [評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2015年07月12日(日)付。

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二重螺旋—完全版 [著] ジェームズ・D・ワトソン
[評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)  [掲載]2015年07月12日   [ジャンル]科学・生物 ノンフィクション・評伝 

生命科学の時代と露骨な競争の幕開け

 著者のジム・ワトソンは生命科学界のスティーヴ・ジョブズだ。本質をズバリとつかみとる強烈な直観力、高速回転する頭脳、沸き立つエネルギー、身体中から放射されるオーラ、なんとしても目標を達成する強い意志、そして周囲の人間から蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われる。だが、生命科学や情報社会に一大革命を起こしたのは他ならぬ彼らであり、彼らのような人だからこそ、革命が達成できたのである。
 ワトソンは1953年にフランシス・クリックと共にDNAの二重らせん構造を発見して、後にノーベル賞を受賞した。その単純で美しい構造は、生命現象の根幹の物質的メカニズムを明らかにし、以後今日にいたるまでの生命科学大発展の起点となっている。
 この本の原著は68年にアメリカで出版された。二重らせん構造発見に至るまでの科学者たちの人間ドラマを、ワトソンの視点から描いた回想記である。そのあまりに率直な物言いと科学者の日常の赤裸々な描写、そしてワトソンたちがノーベル賞獲得レースに血道を上げている様子が「象牙の塔で真理を探究する科学者」という世間一般のイメージとあまりに異なっていたことなどから、賛否両論をよんだ。日本でも江上不二夫と中村桂子による名訳(講談社ブルーバックスなど)が出てロングセラーになっている。
 その原著に、最近見つかった大量の書簡が明らかにした背景情報と、多数の写真資料を追加したのが、この《完全版》である。今回の新訳もとても読みやすい。これらの解説や注釈は、本書に新たな命を吹き込んだ。すべてが「ここ」から始まっていたのだと、改めて実感させられる。
 この本は、生命科学の時代の幕開けであると同時に、科学者たちが実際にどのようにして研究をおこなっているか、その知識社会論についても時代の先駆けとなるものだった。優秀な研究者同士の交流と頻繁なディスカッション、食事やテニスでの気分転換、知識の統合化へのあくなき欲求……。大発見というのはこういった日常の積み重ねであり、これらを軽視して偉大な科学的成果はありえないと納得させられる。
 それはまた、名誉と栄光をしゃにむに追いかける露骨な競争としての科学の時代の幕開けでもあった。批判する向きも多いが、これは一方で、科学者といえども生身の人間であることが世の中に知れわたり、科学活動の現場の実態を誰もが目の当たりにできるようになったということでもある。
 新しい分野をひとつ切り開くだけでもとてつもなく大変なのに、ワトソンはそれを二つもやってのけた。しかもたった1冊の本で。やはり並大抵の天才ではない。
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 青木薫訳、アレクサンダー・ガン、ジャン・ウィトコウスキー編、新潮社・3024円/James D.Watson 28年、米国生まれ。ニューヨークのコールドスプリングハーバー研究所名誉所長。62年に、他の研究者2人とともにノーベル医学生理学賞を受賞した。
    −−「二重螺旋—完全版 [著] ジェームズ・D・ワトソン [評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2015年07月12日(日)付。

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