覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『ネアンデルタール人は私たちと交配した』=スヴァンテ・ペーボ著」、『毎日新聞』2015年07月19日(日)付。

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今週の本棚:中村桂子・評 『ネアンデルタール人は私たちと交配した』=スヴァンテ・ペーボ著
毎日新聞 2015年07月19日 東京朝刊


 (文藝春秋・1890円)

 ◇現生人類への遺伝子移動明らかに

 マイケル・クライトン著『ジュラシック・パーク』は、ジュラ紀のコハクに閉じ込められた蚊が吸っていた恐竜の血から取り出したDNAで恐竜を再生する話であり、よくできている。しかし科学となると話は別だ。コハクの中のシロアリやゾウムシのDNAを解析した論文を検討した著者は、1億年前の生物のDNAが残っていることはないと結論づける。

 著者自身、古代のDNAの解析を目指して苦労を重ねた結果、2万5000年前のウマの化石、凍土中の5万年前のマンモスならなんとかというところにこぎつけたばかりだった。試料から抽出したDNAのほとんどは、周囲に増殖したバクテリアや化石を採取した人間のDNAである。それらを排除しデータを精査しなければ、古いDNAの解析などできるはずがないのに、20世紀末から21世紀へかけてその配慮のないデータが次々と出され、マスコミを賑(にぎ)わせた。ヒトゲノム解析が話題になっており、人々はゲノムという新しい切り口での面白い話題を待っていたのである。

 著者は、1980年代にエジプトのミイラのDNAを解析した。13歳の時に訪れたエジプトに惹(ひ)かれていたのだが、エジプト学は退屈と感じて医学に進み、免疫の研究室に入った。生物学を面白く思いながらエジプトへの憧れも捨てきれない日々の中で、この二つを結ぶアイディアが浮んだのだ。若い学芸員の手助けで2400年前のミイラの断片を手に入れ、そっと解析。Aluというヒト特有の配列を目印に解析に成功し、『ネイチャー』に発表した。その反響は大きく、内職のつもりだった「古代の遺伝子に人生を賭(か)ける」ことになる。ヒトゲノム解析の開始、DNA増幅技術のブレークスルーなどからの刺激も決心の後を押した(ミイラのデータは誤りと後でわかるのだが)。

 まずは動物で試運転である。1996年までに動物の剥製からの遺伝子抽出法を確立して自然史博物館を遺伝子バンクに変え、古代動物の研究を可能にした。しかし、知りたいのは人類の歴史である。依頼されてアイスマンを解析するが、面白い結果は出ない。悩むうちに、ネアンデルタール人(以下N人)こそ調べるべき対象だと気づく。現生人類とは明らかに違うし、数万年ならDNAがあるはずだ。そこへボンの博物館からN人の骨を調べてほしいという電話がくる。「驚くべき運命の収斂(しゅうれん)」と著者は書く。研究の世界でよく起きることである。まず、ミトコンドリアDNAは現生人類と異なることが明らかになった。イギリスのグループの結果と合わせると、配列のバリエーションが3・7%であり、現生人類の3・4%と近いこともわかった。類人猿では15%以上であり、N人も小さな集団から始まったと考えられる。

 この成果発表後、また運命が変る。マックス・プランク協会が創設する進化人類学研究所を任せると提案されるのだ。1948年の設立以来避けてきた人類学だが、ナチスの記憶を乗り越えて「何が人類を特別な存在にしているのか?」を問う学際的研究所を作る、その基盤は進化だというわけである。本格発進!

 ミトコンドリアの解析では、N人は現代人のDNAに寄与していないことになるが、核DNA(ゲノム)を調べる必要がある。難しい道である。凍土の中のマンモスならともかく、洞窟からのN人では不可能……そこに救世主が現れる。「次世代シーケンシング」と呼ばれる革新的なDNA解析技術である。科学の発展は技術開発が支えている。これで元気づけられた若い仲間たちが工夫を積み重ね難問を解決していく過程は、研究の具体を伝えて面白い(専門外の人にはちょっとしんどいかも)。

 2006年、最先端研究者が集まる会議で、ヒト染色体マップ上にこれまでに解析したN人の配列を重ねて報告すると会場がどよめいた。解析したのは0・0003%なのだが、原理上は全ゲノムが解析できる。ここで著者は2年後の全ゲノム解読を宣言する。500万ドルの費用、コンソーシアムの設立、更なる技術開発などの苦労はわかっていながら。

 そして2009年、N人と現代のフランス人、中国人、パプア人とのゲノムの比較から、非アフリカ人の一致度がアフリカ人と比べて常に2%多いことがわかった。一見わずかな差だが、アフリカ以外の人々への遺伝子の寄与を明らかにしたのである。この遺伝子の移動は、N人から現生人類へであると解析できた。いつどこで何が起きたのか。著者は5万年前にアフリカを出た現生人類が中東でN人と交配し、その子孫が世界へ拡散していくモデルを出している。まだ多くの検証が必要だ。

 ゲノム解析の結果を用い、類人猿のペニスに存在しヒトにはない突起がN人にもないことを明らかにする報告が出た。また言語能力に関わる遺伝子FOXP2で見られるヒト特有の変異がN人にもあることもわかった。今後何がわかるか楽しみだ。人類の歴史をゲノムという基本から解明する道をつくった画期的研究の過程を研究者の日常と共に語り、研究現場を伝える好著である。(野中香方(きょう)子(こ)訳)
    −−「今週の本棚:中村桂子・評 『ネアンデルタール人は私たちと交配した』=スヴァンテ・ペーボ著」、『毎日新聞』2015年07月19日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150719ddm015070011000c.html


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