覚え書:「インタビュー:知日派の日韓論 韓国の英文学者・羅英均さん」、『朝日新聞』2015年07月22日(水)付。

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インタビュー:知日派の日韓論 韓国の英文学者・羅英均さん
2015年7月22日

(写真キャプション)インタビューは日本語で行った。「漢字交じりの日本語の方がハングルだけより、ずっと早く読めます。いまでも」=ソウル、チェ・スンド氏撮影

 韓国は8月、日本の植民地支配からの解放70年を迎える。幼い頃から日本語で徹底的に教育された知識人、羅英均さんに、解放後の社会の混乱に始まる、激動の韓国現代史を聞いた。かつて自分たちの言葉を奪った日本を批判しながらも、羅さんは隣国の人同士が交流を通じて、お互いのありのままの姿を知る大切さを訴える。

 ――1945年8月15日は、ソウルで迎えたのですね。

 「ええ。15日正午に天皇の特別放送があると聞き、夏休み中だった16歳の私は、家で、ラジオをつけて待っていました。聞こえてきた天皇の声は小さく、雑音がジージーとひどく、言葉も難しくて聞き取れませんでした。家に帰ってきた父が、うれしそうに日本が降伏した、と教えてくれました」

 「うんざりしていた戦争がやっと終わったと、まず、ほっとしましたね。ソウルでも第2次大戦末期は食糧難が進み、学生も軍需物資作りの作業に休みなく動員されていましたから。でも、次には、これからどうなるのだろうという不安でいっぱいになりました」

 ――不安、ですか。

 「45年10月に学校で勉強が再開されたとき、日本語で書かれた教科書はみな捨てられました。でも多くの学生はハングルの読み書きができない。獄中から解放されたハングル学者が1週間特別に教えに来ました。漢字を韓国語でどう読むか、先生も学生もしどろもどろ。混乱は数年続きました」 「私は日本人子弟のための幼稚園や小学校で学び、日本語しか分からなかった。家でもお父さん、お母さんと呼び、物事を考えるのは日本語で、日本的な要素が血液の中まで浸透していました」

 「自分自身が文化的な異端者だと感じたこともあります。日本は朝鮮半島を植民地にし、民族の言葉と名前を奪った。私たちの存在を否定するに等しい、罪深いことでした」

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 ――解放後の街の様子は?

 「監獄から、思想犯もそうでない人もみな釈放され、人々は大喜びでした。その一方、隣に住んでいた日本人の判事夫婦が、ひっそり別れのあいさつに来ました」

 「不安は現実のものになりました。やがて政治的な混乱が激しくなって、左翼と右翼の指導者が暗殺される事件、それだけでなく右翼同士の殺し合いも起こりました。解放後に生じた権力の空白が無秩序を生んだ。一緒に新しい国を作っていこうという時、なぜ人々が争うのか。私は怖かった」

 《血なまぐさいテロを伴う解放後の政治的混乱は、米ソ両大国による朝鮮半島の分断がきっかけだった。北緯38度線の南には米軍、北に旧ソ連軍が駐留。48年には米国を後ろ盾とする大韓民国旧ソ連が支える朝鮮民主主義人民共和国がつくられた。50年6月、朝鮮戦争が勃発し、全土が戦場となる。》

 ――同じ民族が争った朝鮮戦争では危険な目に遭ったそうです。

 「人民軍(北朝鮮軍)を撃破するため、ソウル近郊でも米軍と連合軍による空爆や戦闘機攻撃が繰り返されました。鼓膜が破れるほどの音を立てて急降下した戦闘機は、私たちが身を潜めていた一帯に機銃掃射を浴びせかけました。友達と抱き合って悲鳴をあげ続けました」

 「私たちは米軍を『友軍』とみていましたが、空爆する側に敵味方は関係ありませんでした。爆撃された汽車が横倒しになり、死んだ大勢の人と牛が横たわっていた様子をありありと思い出します」

 ――その戦争のさなかの51年秋、韓国と日本の国交正常化の予備交渉が始まりました。

 「個人としては日本との国交に賛成でした。韓国はとにかく貧しかった。それに朝鮮戦争のとき、人民軍に支配されたソウルで新婚の夫は、北朝鮮に拉致されるところを命からがら逃げた。おびえながら暮らした経験は、二度としたくなかった。日本と共存し、経済支援がなければやっていけない、そうやって初めて、北朝鮮と向き合うことができると考えました」

 「国交が結ばれた65年当時、私は母校の女子大学の教師でした。国交反対のデモに加わろうと、正門から街に出ようとするたくさんの教え子を、警官隊が阻止しようとする。衝突しないよう、私たち教員が間に立ちました」

 「学生たちは、国交正常化の条件に反対でした。『植民地支配の清算がなされていない』『日本に弱腰だ』という反感です。私は現実主義的な立場から国交正常化をベターと判断しましたが、反感も分かりました。50年前に韓国人の中に渦巻いた複雑な感情を、理解できる日本人は少ないでしょう」

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 ――ところで、どうして幼稚園から日本人と学んだのでしょう。

 「父は韓国が日本に併合された1910年に東京に行き、現在の東京工業大学で学びました。アナキストとして知られた大杉栄に傾倒して、朝鮮の独立運動に関わり逮捕されましたが、旧満州中国東北部)でゴムの履物工場をつくり、成功したのです」

 「奉天(現瀋陽)で12歳まで育った私を父はレベルが高い日本人の学校で学ばせた。父はかつての自らの留学についても『同化ではない。一歩先に近代化を進めた日本に追いつくため』と考えて、日本語もその道具とみていました」

 ――西欧文明受け入れの手段としての日本語ということですね。

 「明治以来の日本の翻訳文化はすばらしかった。多くの国の外国文学や思想を日本語で読めました。私が英文学を一生の仕事とする下地になったのも、父の蔵書だったシェークスピア全集を、大学に入る前に読んだことでした」

 ――日本語で?

 「坪内逍遥の訳でした。近代日本が発展した土台には西欧文化の巧みな取り入れがあった。それは韓国をはじめアジア諸国が認めるべきことだと思います」

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 ――いまの韓国で、日本の「過去の長所」を公言すると「親日派」と厳しく批判されるでしょう。

 「私は、日本の肩を持ちすぎると言われることがあります。植民地下で厳しい経験を強いられた人がいることは知っていますが、日本の優れたところを素直に認める考えを大学の先生たちに話すと、『同感だ』と、こっそり言われることもあります。一人の人間について親日とか反日とか決めつけることはできません」

 「解放後70年、国交正常化50年を迎えてもなお、韓国人には日本を永遠の敵と思わなくてはいけないという強迫観念があるようです。少しでもそこから離れて、お互いが自分や隣人を、ありのままに見ようとすることが韓日関係を改善するカギだと考えています」

 「韓国の側は、『圧制者』『侵略者』というレッテルを日本人にアタマから貼るのではなく、血の通った人間としてみようと心がけてみればどうでしょうか」

 ――血の通った人間。

 「国と国とが政治的に対立しても個人では仲良く交流できるということを、父や私の世代は体験しました。日本留学時代、朝鮮独立運動に関わった父ですが、すべての日本人を憎んだのではありません。警察に追われた友人を日本の下宿屋のおじさんがかくまってくれたといいます。そんな付き合いが植民地時代にもあったのです」

 ――歴史や文化の異なる相手を血の通った人間とみるには、何が大切でしょうか。

 「まずは相手の言葉を知ること、次に相手の国を訪ねることでしょう。1950年代に生まれた私の子供たちの世代は、日本の苛酷(かこく)な植民地支配によって当時の朝鮮は搾取されたと授業で習いました。その娘が20代のころ、日本に数カ月仕事で滞在して、帰ってきたら、習ったことと全然違うね、と言いました。日本人の秩序意識、丁寧な仕事ぶり、ちょっとぶつかっても、すみませんと謝る、そんなことに驚いたようです」

 「90年代末まで、韓国では日本の映画や歌は禁じられていたが、こっそり楽しんでいた人は実は多かったのです。感情を抑えて、目や顔の微妙な表情で気持ちを伝える日本人の演技には独特の魅力があります。逆に、大声で叫ぶこちらの俳優の演技を楽しむ韓流ファンの日本人も多いのでしょうね」

 「文化のそんな違いをお互いに素直に楽しむことができれば、それはすばらしいことです。夏目漱石のファンで、あれだけ魅力的な作家はいないと思っていた私ですが、最近村上春樹の『1Q84』を読んで新鮮だと感じました」

 ――「日本の肩を持ちすぎる」と言われることもある人が、自衛隊の活動範囲を拡大する安保法制整備など、最近の日本の動きをどうみますか。

 「隣国に住む人同士がお互いを血の通った人間として認め合うための土台となるものは、政治指導者の言葉でしょう。日本の戦後の平和憲法を評価していますが、憲法を事実上変えようとする動きは不安ですね。そんな不安に応える言葉がほしい。歴史問題も含め、隣国との関係が悪化するほどまで、我を通すのはやめてほしい。安倍晋三首相には、何よりもそう言いたいです」

 (聞き手・桜井泉)

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 ナヨンギュン 1929年、旧満州生まれ。ソウルの梨花女子大学卒、同大名誉教授。韓国英語英文学会会長などを歴任。邦訳著作に「日帝時代、わが家は」。
    −−「インタビュー:知日派の日韓論 韓国の英文学者・羅英均さん」、『朝日新聞』2015年07月22日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11872930.html





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