覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『サリンジャー』=デイヴィッド・シールズ、シェーン・サレルノ著」、『毎日新聞』2015年08月09日(日)付。

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今週の本棚:池澤夏樹・評 『サリンジャー』=デイヴィッド・シールズ、シェーン・サレルノ
毎日新聞 2015年08月09日 東京朝刊

 
 (KADOKAWA・4536円)

 ◇自己顕示欲と俗物への軽蔑の葛藤

 アメリカの作家、J・D・サリンジャーの伝記である。

 たいていの作家の伝記はたいていの政治家の伝記よりおもしろい。政治家では業績と私生活は並行しているが、作家では作品と私生活の関係は複雑怪奇で謎に満ちているから。

 ましてサリンジャーの場合は若い時にとんでもない傑作をいくつか書いて、それから隠遁(いんとん)生活に入り、執筆はしていたらしいがどれも刊行しないままに終わったという数奇な生涯。しかも極端な秘密主義。

 この伝記は二百名を超える関係者へのインタビューの成果を短く切って並べるという手法で作られ、著者たちの声もその中に埋め込まれている。この方法によってサリンジャーの人柄が見える。

 最初のところに彼の人生の見事な要約がある−−

 「J・D・サリンジャーは十年間かけて『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を執筆し、死ぬまでそのことを後悔し続けた。/その本が出版される前、彼はPTSDを抱える第二次世界大戦の退役軍人だった。戦争が終わってからずっと、傷ついた心の癒(いや)しを求め続けていた。『プレップスクールの若者』についての小説が大成功を収めると、ある神話が生まれた。サリンジャーは、ホールデンのように繊細すぎて触れることもできない、この世界で生きるには純粋すぎる人物なのだ、と。彼は残りの人生を、神話の自分と現実の自分という完全に相反するふたつの自己像を一致させようと試みては失敗するという繰り返しに費やした」

 二十五歳で兵士としてノルマンディー上陸作戦に参加し、その後もヨーロッパ各地に転戦したことで心に大きな傷を負った。

 帰国して大学に戻ってから作家を目指して短篇を書いた。どれも傑作であり、間接的に戦争を描いたものである。ノーマン・メイラーではなくカート・ヴォネガットに近い。

 半分はユダヤ系とか、肉体の欠陥とか、コンプレックスがいろいろある一方で才能への自負もある。自己顕示欲と俗物への軽蔑がぶつかりあう。

 生得の性格の中に思春期の少女たちへの関心ということがあった。最初の例であるウーナ・オニール(劇作家ユージン・オニールの娘)の場合は歳(とし)も同じだったから尋常に近い仲だったのだろう。ちなみに才色兼備のウーナはオーソン・ウェルズなどともつきあったあげく、チャップリンの正妻に収まっている。年齢差三十六歳のこの結婚は生涯連れ添う結果になった。

 短篇「エズメに捧(ささ)ぐ−−愛と汚辱のうちに」のモデルとされるジーン・ミラーの場合は出会った時に彼女が十四歳、サリンジャーは三十歳。一度は母親を通じてプロポーズもしたが実らないまま仲は友情として続き、彼女が十八歳になった時、つまり女になった時に終わった。二人の出会いの場であったフロリダ州デイトナシェラトンホテルは「バナナフィッシュにうってつけの日」の舞台でもある。

 ジーン・ミラーはこの関係についてずっと沈黙を守っていたが六十年後にことを明らかにした。この手記は彼女の文才もあっておもしろい。

 愉快な挿話がいろいろある。名門出版社ハーコートは自社の教科書部門への配慮から『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の刊行を断った。ここはケルアックの『オン・ザ・ロード』も断っている。二十世紀アメリカ文学最大の傑作を半年のうちに二つも捨てたというのは笑える。

 サリンジャーコーニッシュという土地に隠棲(いんせい)したが、土地の高校生たちとは親しく行き来した。自分らと同じ世代の誠実な若者を主人公にしたベストセラーの作家なのだからみんな夢中になる。シャーリー・ブレイニーという子が学校新聞のためにインタビューしたいと言って、作家はこれに応じた。しかし彼女はそれを地元紙に売った。作家はいたく傷ついた。

 その後も隠棲と称しながら名声を利用して若い女と親しくなってやがて突き放すことが繰り返される。セックスではない。イノセンスという幻想を求めて幻滅する。現実の社会と切り結ぶことを避けて妄想の中に引きこもる。

 彼が創造したグラス家の面々はものすごく、あり得ないほど、チャーミングだ。作者は自分の家族よりグラス家の方を愛したと言われる。

 彼の作品の影響力は強い。ジョン・レノンを殺したマーク・チャップマンは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の影響下にこの凶行に走ったとされる。レーガン大統領を暗殺しようとしたジョン・ヒンクリーもこの本の熱烈なファンだった。どうしてそうなるのだろう。

 作家メアリー・マッカーシーの意見にぼくは納得する−−「サリンジャーの世界には、サリンジャーと彼の教師たち、彼に寛大にも愛された観衆しか存在しない。それが彼にとっての人類なのだ。その外ではインチキたちがなかに入れてほしいと無駄に訴え続けている」(坪野圭介、樋口武志訳)
    −−「今週の本棚:池澤夏樹・評 『サリンジャー』=デイヴィッド・シールズ、シェーン・サレルノ著」、『毎日新聞』2015年08月09日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150809ddm015070037000c.html








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