覚え書:「書評:悲しみと無のあいだ 青来 有一 著」、『東京新聞』2015年08月16日(日)付。

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悲しみと無のあいだ 青来 有一 著  

2015年8月9日
 
被爆者の声 ひたすら待つ
[評者]伊藤氏貴=文芸評論家
 一貫してナガサキを描き続けてきた青来有一が、ここにきて自分の方法に迷いを生じたのだろうか。被爆体験を持つ俳人、松尾あつゆきの日記を読み、また「かぜ、子らに火をつけてたばこ一本」という、自由律でしか表現しようのない凄惨(せいさん)な体験を詠んだ句に接して思い悩む。本書は、その悩みを主題とした二作を収める。松尾は妻と三人の子を原爆で喪(うしな)ったが、戦後生まれの自分が被爆者の体験を綴(つづ)ることにどんな意味があるのか。
 しかし、この内省は今に始まったものではない。青来のこれまでのどの作品にも、書くことへの畏れがたしかに刻み込まれていた。「理解できるのは、あの時、あの場所にいた人だけだ」という、やはり被爆体験を持つ先輩作家、林京子の言葉は、青来の筆をしばしば立ち止まらせつつ、その場所をもっと深く穿(うが)つよう促してきた。だからこそ、「自由に書いていいのですよ、小説は自由です」と林に直接声を掛けられても、むしろ苦悩は増すのだ。
 しかし青来は、全てを克明に描き切る、という林の覚悟にも学ぶ。もちろん直接体験のない青来は、他人から聞いた話から想像を広げるしかないのだが、それでも訥々(とつとつ)としか語らない被爆者たちにひたすら寄り添い、漏れ出る声に耳を澄ませ、額や頬に刻まれる皺(しわ)に目を凝らす。
 父もまた、いつ尋ねても、「どげんもならん」と、結局なにも語ることなく生を閉じた。表題作で作者は、その沈黙の向こう側になにがあったのかにじっと耳を澄ませる。被爆者であった父の死に触れて、自分の紡ぐ言葉についてあらためて内省を強いられたが、それを経ることで青来の言葉はさらに鍛えられた。生々しい想像や実験的な文体も、すべては声にならなかった声を響かせるためのものである。
 体験なき者たちが戦争について語る方法はこれからも模索され続けなければならないが、青来はここに自分の道をゆるぎないものとして示しえた。
文芸春秋・1512円)
 せいらい・ゆういち 1958年生まれ。作家。著書『てれんぱれん』など。
◆もう1冊 
 青来有一著『爆心』(文春文庫)。被爆による心身の傷や記憶を抱えながら、長崎の爆心地周辺で暮らす人々の姿を描く連作短篇集。
    −−「書評:悲しみと無のあいだ 青来 有一 著」、『東京新聞』2015年08月16日(日)付。

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