覚え書:「今週の本棚:張競・評 『日々の光』=ジェイ・ルービン著」、『毎日新聞』2015年08月16日(日)付。
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今週の本棚:張競・評 『日々の光』=ジェイ・ルービン著
毎日新聞 2015年08月16日 東京朝刊
(新潮社・3132円)
◇記憶の川を遡行し、憎悪の悲劇描く
三十年かけて書き上げた作品である。否、読者の手に届くまでには、三十年の歳月を要した。
物語は一九三九年に遡(さかのぼ)る。シアトルのとある日本人教会にトマス・モートンという信心深い牧師が着任し、情熱的な説教はたちまち日本人一世や二世たちを魅了した。「パスター・トム」として親しまれた彼は若くして妻を亡くし、ビリーという幼子と一緒に暮している。その教会には深井光子という若い女性信者がいる。国内での結婚が破綻し、姉の野村夫婦を頼って渡米した。母親を失ったビリーがすぐに光子に懐き、やがて、彼女の美貌と優しさに惹(ひ)き付けられたトムは光子と結婚した。
真珠湾攻撃が始まると、アメリカの対日感情が急激に悪化し、日系住民は再配置キャンプに強制収容された。憎悪の嵐の中で、トムは白人教会へと所属を変え、ビリーの世話を一方的に光子に押しつけた。ビリーをわが子のように愛している光子にとって願ってもないことだが、厳しい収容所の生活は容易ではない。時局が悪くなる中、再婚したトムはビリーを引き取り、光子は本国に送還された。
戦後になって、ビリーはビルという愛称の青年に成長した。彼はずっと光子のことが忘れられず、高校卒業を機に、心の母を探す長い旅をはじめた。
この小説は倒叙(とうじょ)体の語りと時系列の叙述が交差しており、物語の展開は手の込んだものである。ビルが謎のアジア人男性に声を掛けられたところから物語は幕を開け、幼い記憶を頼りに、ビルは必死にミツという謎の女性の残像を追いかける。
一九五九年、フルブライトの奨学金で日本に留学したビルは奇跡的に野村家にたどりついたものの、光子はもはやこの世にいないという衝撃的な結果を知る。だが、ふとしたきっかけでビルが深井家と新たなかかわりを持ち、そこから急転直下して物語は感動的な結末を迎える。一つの謎があらたな謎を呼び、いくつもの謎を解きながら、物語が展開していく。
人物造形も情景描写も第一作とは思えないほど堂に入ったものである。トムはコロニアル時代の牧師を絵に描いたような人物で、夫や家庭に尽くす光子の姿は明治期の女性を彷彿(ほうふつ)させる。ビルについては各成長期に応じて描き分けられており、フランクという人物の設定は日系二世が従軍した第四四二連隊戦闘団まで話を広げ、物語に奥行きをもたらした。
物語の舞台は日米両国にまたがる。作家が居住しているシアトルの湾岸地方はいうまでもなく、アイダホの砂漠、収容所のなか、東京の雑踏や九州の山奥の風景などはときには記録映画風に、ときには詩的な言葉で抒情(じょじょう)的に描き出されている。
作家の過去を見る目は峻烈(しゅんれつ)で、キリスト信仰であろうと、軍国主義であろうと、容赦なく解剖のメスを入れる。理由はともあれ、特定の民族、国家あるいは人種に対する憎悪は必ず悲劇をもたらす。作家の強い思いは作品の中で終始一貫している。
アメリカ人作家として自国の負の歴史に決して目を背けない。日系人強制収容や、原爆投下について敢(あ)えて祖国を良心の法廷に引きずり出したのはそのためである。揺るぎのない正義感は登場人物の境遇や精神的な深手とともに情動的に表現されている。文学的作業であると同時に、集団記憶の川を遡行(そこう)する長旅であり、魂の洪水との格闘でもあった。
「人々が正義を掲げて殺すことをやめないかぎり、この世界に安らぎはない」
終戦七十周年を迎える今日、この言葉はいつまでも耳元で木霊(こだま)している。(柴田元幸、平塚隼介訳)
−−「今週の本棚:張競・評 『日々の光』=ジェイ・ルービン著」、『毎日新聞』2015年08月16日(日)付。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20150816ddm015070093000c.html