覚え書:「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 政治学者・杉田敦さん」、『毎日新聞』2015年09月02日(水)付夕刊。

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特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 政治学者・杉田敦さん
毎日新聞 2015年09月02日 東京夕刊


 ◇暴走する「ぶれない政治」

 いつごろからだろう。政治家が「ぶれない」という言葉を頻繁に発するようになったのは。この言葉には、信念を曲げないというポジティブなイメージがある。

 杉田敦さんの受け止めは違う。ある種の危険を感じ取っているのだ。「自分の意見を修正しないのは正しいことだ、という意味合いが強くなっていませんか? 考えが間違っていれば改めるのは当然。それなのに最近は政治的立場を変えないこと自体を目的とする風潮が行き過ぎています」

 確かに、安全保障関連法案の成立を目指す安倍晋三首相の姿勢は一貫してぶれてはいない。現在は参議院で審議中だが、採決日程が報じられているように、成立の足音が聞こえている。「安倍首相は『国会議員による多数決で選ばれた自分に全権が委ねられている』と勘違いしている。内閣と国会の関係を全く理解していません」。落ち着いた口調で、この国のリーダーに痛烈な批判を繰り出した。

 内閣と国会。その関係は憲法41条で、国権の最高機関は国会と定めている。杉田さんは、この基本原則さえ、安倍首相は理解していないと指摘するのだ。

 「政治権力の主体は議会で、内閣は国会が作った法律を執行する機関です。内閣の代表である首相は、国民の代表である議員に問われたことを説明しなければなりません。例えるならば、株主総会で社長が株主の質問に答えるのに似ています。仮に経営陣が経営方針などを明確に説明できなければ、株主から解任動議を出される。国会で首相が説明不足ならば内閣不信任案が提出されるのは当然です」

 それなのに、安倍首相の態度は国会軽視が甚だしい、と杉田さん。例えば度々、問題になっているヤジだ。「早く質問しろよ!」。このヤジは5月に飛び出し、安倍首相は謝罪に追い込まれたのだが、8月21日にも他国軍の後方支援の詳細について民主党議員が中谷元(げん)防衛相にただした際、首相は「まあいいじゃん、そういうことは」と発言。「またか」とうんざりするだけではいけないという。首相の立場は国会より上にある、との姿勢が透けて見えるからだ。

 安倍政権の「ぶれない政治」による弊害は他にもある。「安倍政権では『全権を首相に預けるトップダウンのほうが物事の決定が早い』『議論に時間をかけるよりも多数決が重要』という民主主義観がじわりと広がっています。私はこれを『暴走する民主主義』と位置づけています」

 暴走する民主主義とは何か。権力を一元化し、あらゆるブレーキを取り払い、権力を抑えるものを排除する。つまり、立憲主義的な民主主義の否定だ。安倍首相の手法はどうか。「法の番人と呼ばれる内閣法制局長官を自らの考えに近い人物に交代させ、憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使容認につなげました」。国民的議論を背景にしたわけではない。

 国会議員にも暴走を肯定する発言が目立つ。「彼らは『審議の中心は安保法案であり、憲法論ではない。憲法論ばかりでは本題に入れないじゃないか』と発言している。これは危険な考え方です」

 自衛隊の海外派遣を可能にした国連平和維持活動(PKO)協力法やイラク特措法などの議論では、憲法9条の縛りがある中で何ができるか、常に憲法論と一緒に議論してきたはずだ。「安保法案はそもそも違憲の疑いが強い。だから憲法論議をするのは当然です。それなのに憲法の枠内での議論を嫌う。これでは暴走する民主主義こそ正しいと信じている、と批判されてもおかしくはない」

 ここまで安倍政権への批判として聞いたのだが、ドキリとする言葉を口にした。「暴走する民主主義を望む潜在的な心理が国民の中にもある」と。どういうことなのか。

 「経済的に余裕がなくなり、生活を守ることに追われ、さらに国を取り巻く環境の危機を政治家が叫ぶようになると、イメージの湧きにくい安全保障や外交問題は強いリーダーに引っ張ってもらいたい、という心境になりがち。多くの人々の意見に耳を傾ける人よりも、自らの固定観念を曲げない、つまり『ぶれない』リーダーでなければあらゆる危機が乗り切れない、と不安を覚えてしまうのです」

 このような国民の心理は歴史が証明している。ナチス・ドイツは、世界恐慌の影響などで数十%にも達した失業率を解消する経済対策と同時に、第一次世界大戦の敗戦で国際的地位が下がったことを不服として「強いドイツの復権」を訴え、オーストリア併合などを強行した。多くの国民がこれらに喝采を送り、全体主義も受け入れた。

 「暴走する民主主義」を杉田さんはブレーキのない車に例える。「そんな車に乗る覚悟が国民にあるのでしょうか」

 政治学者としてできることは何か。研究室にこもることなく、それを念頭に行動してきた。危機を感じた契機は、2000年に国会に設置された「憲法調査会」だった。翌年に憲法学者や作家から成る勉強会「憲法再生フォーラム」に参加。シンポジウムで意見を交わし、改憲を問題視する著書を出版した。

 安倍首相が改憲のハードルを下げるため憲法96条改正論を打ち出した際は、反対する「96条の会」(13年)を憲法学者らと発足させた。昨年4月には「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人に名を連ねた。

 研究室を飛び出すのは「議論の枠組みを守る」とのスタンスを貫いているからだ。「安倍首相のように、権力を集中させてトップダウンで決断する風潮が広まると、議論の場が脅かされる。政治学者として守らねばならないものは、いろいろな意見が出る場を提供していくこと。それは社会の土台なのです」

 今、この土台が揺らいでいるように見えるが、杉田さんは「首相のかたくなな姿勢を見ることで、多くの国民が安保法案の本質に気づき、反対しているのです」とも語る。「法案の目的は、米国の機嫌を損ねないためだと。そんなことのために、戦後日本が築いてきた平和や立憲民主主義を失うわけにはいかない。これまで当たり前のようにあった価値を再認識することで、安倍首相の説明には説得力がないと感じているのです」

 それでも安倍政権は安保法案の成立を諦めないだろう。その時、反対している国民はどうすればいいのか。そんな疑問をぶつけても杉田さんの表情は変わらなかった。「憲法を巡る議論はこれからも続く。民主主義国家である限り、政権は選挙で国民の審判を受けなければならない。意識を高めた有権者の存在が重要になる場面は何度も訪れます。諦めてはいけない」

 政権の本音を見抜いた有権者は、力を手にすることができる。そのことを私たちは決して忘れまい。【江畑佳明】

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 ■人物略歴

 ◇すぎた・あつし

 法政大教授。1959年、群馬県生まれ。東大法学部卒。新潟大助教授などを経て現職。専攻は政治理論。著書は「政治的思考」「政治への想像力」「デモクラシーの論じ方」など多数。=徳野仁子撮影
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