覚え書:「発言:自分の足で立つほかない=高村薫・作家」、『毎日新聞』2015年08月29日(土)付。

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発言:自分の足で立つほかない=高村薫・作家
毎日新聞 2015年08月29日 東京朝刊

 日本人はいま、4年前の東日本大震災の未曽有の津波被害の記憶に深く浸食されたまま、生活全般において明るく開けない未来に怯(おび)えているかのようである。地震の活動期に入ったとされる人智(じんち)を超えた不気味さや無力感とともに、足下にひそかに蔓延(まんえん)しているのは、一抹の滅びの予感だろうか。

 2015年現在、1億2000万人のなかには、かの太平洋戦争を生き延び、戦後の高度成長と今日のゆるやかな後退の両方を目の当たりにし、いわば近代日本の繁栄とその終わりを現在進行形で生きている人が少なからずいる。今日、たとえばこの国が日中戦争に突入していった1930年代の空気と、自民党政権衆議院での圧倒的多数の力を背景に集団的自衛権行使容認に踏み出した2015年の空気がよく似ていると呟(つぶや)くのは、そういう人びとである。

 一方、戦前を知らない世代は、この国や社会のありようの、70年、80年という一続きの物語をいまに浮き上がらせるものとして彼らの呟きに耳をそばだて、自身がまだ生まれていない過去の空白を埋めるピースにする。そうして自身の時間軸を拡張することで、私たちはそこはかとない不安や戸惑いがどこから来るのかを知るために、時代や社会のより大きな変化を捉えようとするのである。

 また戦前まで遡(さかのぼ)らずとも、たとえば戦後民主主義社会の、何かしらてのひらを返したような明るさの下で、広島と長崎の原爆の記憶は原子力の平和利用という魔法によって中和されてゆき、気がつけば日本人は北海道から九州まで50基以上の商業原発が建ち並ぶ風景に馴染(なじ)んでいた。そうして安全神話に安住していた2011年3月、東日本大震災の巨大津波が福島第1原発を襲った。ライブカメラの映像を通して、私たちは安全なはずの日本の原発が、チェルノブイリ級の重大事故を起こした瞬間を目の当たりにしたのである。

 科学技術の輝かしい未来としての希望の原子力から、現在の技術力では人間に制御できるものではなかった絶望の原子力へ。1957年、茨城県東海村に初めて原子の火がともった日の晴れやかさを記憶している世代−−おおむね60代以上の日本人のなかには、これを書いている私も含まれる。

 ◇沈滞と貧困の風景

 ひるがえって足下の暮らしも、20年前と比べると一変した。バブル崩壊からの「失われた20年」は、2015年のいまから振り返れば、たんなる景気循環の底などでなかったことは明らかである。1980年代にはすでに戦後の経済成長を牽引(けんいん)した産業構造の改革が求められていたが、いまに至っても果たせず、新興国市場の発展により製造業の海外移転が進んで国内は空洞化した。

 農・畜産業も長年改革が叫ばれながら、これも疲弊がやまない。労働力人口がすでに減少に転じたこの国で、将来にわたって社会インフラや十分な教育、医療制度を維持してゆくためには、生産性の高い産業を新たに生み出してゆくほかないのだが、国はなおも公共事業と金融緩和による景気刺激しか打つ手をもたない。

 2012年に始まったアベノミクスは、日銀による大量の国債購入で金利を下げ、円安を誘導して一部製造業の株価を上昇させたが、当然ながら金融政策だけでは輸出は伸びず、労働生産性は上がらず、新しいサービス産業が生まれてゆく息吹もない。一部の資産バブルとは裏腹に、多くの労働者の給与は上がらず、あまつさえ全労働力人口の4割弱が非正規雇用の今日、貧困の拡大は子どもの学校生活の風景すら変えてしまった。

 思えば、70代以上の日本人は敗戦直後の窮乏を知っているが、70年前のそれは未来に向かって開けていたのに対して、今日の貧困は先々よくなってゆく可能性のない、抜け出すのがきわめて難しい牢獄(ろうごく)である。2010年代の日本社会に広がるこの沈滞と貧困は、ゆるやかな衰退期にさしかかった社会のそれだという意味では、私たち日本人が初めて目の当たりにする未知の風景なのである。

 ◇歴史修正主義の影

 そして海外に眼(め)を転じれば、いつの間にか世界第2位の経済大国となっていた中国の姿も、近現代の日本人が初めて見る風景である。また、中国の大国化は相対的にアメリカを縮ませ、ロシアはウクライナクリミア半島を一方的に編入し、「イスラム国」の台頭で中東各国は崩壊の危機にある。

 こうして私たちは20世紀の欧米の秩序が終わろうとしていることに戸惑い、為(な)すすべもなく立ちすくんでいるのだが、勇ましい言葉を弄(ろう)して民衆を扇動する歴史修正主義者はこういう時代に登場してくることを、歴史は教えている。歴史はまた、310万人が犠牲になったかの戦争の責任を日本人は自ら追及しなかったこと、はたまた福島第1原発の事故でも結局誰も責任を取っていないことを教えている。この国では、為政者を筆頭に物事の最終的な責任を取る者はいないのである。

 だから、何者にも踊らされてはならないと思う。戦後70年の己が足下を見つめ、持続可能な社会のために産業や経済をいかにして新しい座標軸で捉え直すか、縮小する社会をいかに再構築するか、私たち一人一人が知恵を絞り、天変地異をなんとかやり過ごしながら自分の足で立つのみである。

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 ■人物略歴

 ◇たかむら・かおる

 1953年大阪市生まれ。「マークスの山」で直木賞。ほかに著書は「レディ・ジョーカー」「冷血」など。秋に「21世紀の空海」を出版予定。
    −−「発言:自分の足で立つほかない=高村薫・作家」、『毎日新聞』2015年08月29日(土)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150829ddm005070012000c.html





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