覚え書:「今週の本棚:中島京子・評 『超・反知性主義入門』=小田嶋隆・著」、『毎日新聞』2015年10月04日(日)付。
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今週の本棚:中島京子・評 『超・反知性主義入門』=小田嶋隆・著
毎日新聞 2015年10月04日 東京朝刊
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(日経BP社・1620円)
◇同調する群衆の本質暴く
本書は日経ビジネスオンラインの人気連載「ア・ピース・オブ・警句」からセレクトしたコラムを一冊にまとめたもので、2013年の春から今年の4月くらいまでの話題を扱っている。
最近のことなのに忘れているものも多くびっくりした。正確に書くと忘れていたわけではない。読めばたちどころに思い出し、思い出すなり当時の怒りが寸分の違いなく蘇(よみがえ)り、あきれ返り、ものによっては考えさせられることになったからだ。
ここ2、3年というもの、朝起きてインターネットのニュースやSNSを見るなり、唖然(あぜん)としたり怒髪天を突いたりすることばかりで心臓に悪い。本書であらためて読み直してみれば、NHKの会長が理事に辞表を書かせて預かっていたり、都議会で女性議員が「早く結婚しろよ」「子供もいないのに」とヤジられていたり、曽野綾子女史が南アフリカの人種隔離政策を賞賛するようなことを新聞に書いていたり、ひどいことばかりだ。コラムニストの嗅覚で著者が拾い上げるのは、シャルリ・エブド襲撃やISによる人質殺害といった事件そのものの「ひどさ」ではなく、ある事件に反応して引き起こされる、著名人による、あるいはネット上の一般人による、言説の「ひどさ」である。それは事件じたいの痛ましさ等とは違うところで、個人を、あるいは社会をいたく傷つけているものなのだとあらためて思う。
個々の事象をとらえた日々のコラムの切れ味は読んでいただくとして、著者が繰り返し警告し、危惧するものに、この国の「群衆」たちの姿がある。
人々の生活にインターネットが登場し、つぶやきを書き込みながらテレビ報道を見るというスタイルが定着してから、テレビは「リンチ好きの野次馬(やじうま)」向けのコンテンツを用意するようになったと著者は書く。「インターネットという疑似的な群衆生成装置を介して、私たちのマナーは、リアルな群衆のそれ(つまり、雷同的で、浮薄で、残酷で、偏見に動かされやすく、恥知らずで、熱狂好きな態度)に近づいている。そしておそらく、孤独な群衆ほど始末におえないものはない」
著者はときに、もっとも恐ろしいのは言説そのものですらない、と指摘する。なぜならこの国に住む人々は「周囲の空気から浮き上がることを何よりも嫌う人々」だからであり、「『まわりの人と同じようにふるまう』ことを強力に内面化している人間たち」だからだという。書店で嫌韓本が幅をきかせたり、テレビに「ニッポン」礼賛番組が増えたりするのは、褒められたことではないけれども、表現の自由もあり、禁止するような事項ではないが、これが「ある臨界点を超えて、過剰適応の同調が起こった場合、その自動運動は、誰にもとめられない暴走を引き起こす」と著者は書く。「こわいのはわれわれが愛国者になることではなくて、愛国者のふりをしないと孤立するような社会がやってくることだ」と著者は言う。「なぜかって? 日本が好きだからだよ」
「反知性主義」とは本来、バカで何が悪いと開き直る態度を指すのではなく、むしろ権威主義や教養主義に対するアンチとして出てきた言葉らしい。そして本書は権威や悪しき教養主義とは無縁ながら、バカで何が悪いと開き直っていく群衆のこわさに対して、「私が申し上げているのは」と謙譲語を居丈高に使う独特のスタイルで切り込んで本質を暴き出す。
戦後日本のイコンの一人、高倉健の演じた男の「贖罪(しょくざい)」と「寡黙」に、日本の戦後復興を重ねる考察も秀逸。
−−「今週の本棚:中島京子・評 『超・反知性主義入門』=小田嶋隆・著』=アンドルー・ホッジス著」、『毎日新聞』2015年10月04日(日)付。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20151004ddm015070014000c.html