覚え書：「今こそ宮沢賢治：私利よりも「ぜんたい」思う」、『朝日新聞』2015年10月12日（月）付。

覚え書

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今こそ宮沢賢治：私利よりも「ぜんたい」思う
2015年10月12日

　「本当の幸せ」を見失った現代社会。あえて自分以外の幸せに目を向けてみたい。

　

　１千分の１秒。それ以下の単位でコンピューターが自動発注する取引が、株式市場で幅を利かせている。確実にもうけたいという顧客の欲望に応えようとする仕組みだ。

　一方で、国の調査によると生活が「苦しい」と答える世帯は６割をログイン前の続き超えた。アベノミクスの「恩恵」のおこぼれは、なかなか届かない。

　何かおかしい。どこかに立ち返らなくていいのか——。

　そう考えるときの手がかりは宮沢賢治が１９２６年に書いた芸術論「農民芸術概論綱要」にあるかもしれない。私塾での講義に使ったもので、「おれたちはみな農民である　ずゐぶん忙がしく仕事もつらい」と書き出す。そこに次の言葉がある。

　〈世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない〉

　農民たちの新しい生き方を問うなかで、自分と他者の幸せの関係に触れている。背景には、生きとし生けるものの幸いを願う仏教思想がある。

　理想主義かもしれない。しかし自分の利益のためにあくせくし、幸せとは何かさえ分からなくなっている現代に、どこか風穴を開けてくれるように感じられないだろうか。

　千葉大学の広井良典教授（公共政策）は、あるセミナーで聞いた「世界実現」という言葉が印象に残っている。発言者は、社会問題の解決と営利とを両立させるソーシャルビジネスを手掛ける青年。自己実現より世界そのものを良くしていくことに関心がある、という趣旨だった。

　「ゼミの学生を見ても、肩に力の入らない社会貢献意識の萌芽（ほうが）が感じられます。『世界がぜんたい幸福に……』を知って、何かを発見したかのようにメールを送ってきた学生もいました。私利の追求を極大化させる資本主義は限界に達しつつあり、深い疑問を持つ者が現れている。賢治に通じるような、根源的な幸福を求め始めているのでは？」

　つらさを抱えるのは生活困窮者だけではない。東日本大震災の被災地では、人々の精神的な苦しみが続いている。

　兵庫県の僧侶で、龍谷大学の鍋島直樹教授（真宗学）は被災者のこころの痛みに寄り添うため、年に何度も、岩手県へ通い続けている。背中を押すのは賢治の「雨ニモマケズ」。特に、繰り返される「行ッテ」という言葉だ。

　「ケアの原点は“Ｎｏｔ　ｄｏｉｎｇ，　ｂｕｔ　ｂｅｉｎｇ”。何かをするのではなく、ただそこにいる。雨ニモマケズにあるデクノボーのことです。すると、胸の内の悲しみを語ってくれることがある。そうやって自分の支えを発見し、生を再構築していく。私はその語りを聞くだけです」

　賢治が「世界がぜんたい幸福に……」というときの「世」は過去も未来も包む時間を表し、「界」は空間的な広がりを指すという。死者の幸せも、これから生まれる者の幸せも意識しているのだ。

　「そういう意味での『世界』のなかで自分が生かされているという、つながりの感覚。それを賢治のように持つことができれば、自分だけの幸いは本当の幸せではないと気づかされるわけです」

　実際の賢治は、菩薩（ぼさつ）のこころを持ちたいと願いながら、そうできずに煩悶（はんもん）する。それでも、人々のもとに行こうとする気持ちを持ち続けた。「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニには、こう言わせている。〈僕もうあんな大きな暗（やみ）の中だってこはくない。きっとみんなのほんたうのさいはひをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう〉

　（磯村健太郎）

　

　＜足あと＞　１８９６年、今の岩手県花巻市で、質・古着商を営む家に生まれる。１８歳のとき、「漢和対照妙法蓮華経」に触れて感動し、生涯の信仰を持つことになる。２０代は本格的に童話や詩を書く一方、花巻農学校の教員を務めた。「雨ニモマケズ」を書いてから約２年後の１９３３年、３７歳で死去した。

　＜もっと学ぶ＞　ちくま文庫『宮沢賢治全集』全１０巻には手帳や書簡も収められている。作品を深く分析したものに見田宗介『宮沢賢治　存在の祭りの中へ』や鎌田東二『宮沢賢治　「銀河鉄道の夜」精読』（いずれも岩波現代文庫）がある。

　＜かく語りき＞　「おれもとうとうお父さんにほめられた」（弟の宮沢清六著『兄のトランク』から。自身の臨終間際、信仰の違いから対立したこともある父親に「お前も大した偉いものだ」と言われて）

　◆過去の作家や芸術家などを学び直す意味を考えます。次回は作家・火野葦平です。
　　　　−−「今こそ宮沢賢治：私利よりも「ぜんたい」思う」、『朝日新聞』2015年10月12日（月）付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12012349.html





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