日記:お花畑とポエムに居直りを決め込む権威そのものを相対化し、人間を自律させる、人間をエンパワメントさせる知性の連帯

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大井さんの議論に導かれながら、6月に安全保障関連法に反対する学者の会に賛同の署名をし、廃案に向けて100大学共同行動、SEALDsと学者の会の抗議活動や総掛かり行動に参加した印象を少々綴っておきます。

アベ政権の立憲主義を否定し、人間の幸福追求する毀損することへの今回の反対の声はまさに従来の抗議とは全く違う性質を帯びていると思います。

学生の危惧は、学者たちを路上へ引っ張りだし、市民と学生、そして学者が水平に対等に向かい合い、抗議を続けています。これは従来の日本社会にはあり得なかった現状であり、特に対等と相互尊重の人間共同の在り方は、とかくヒエラルキーと上下関係が強調され、一切がそれで決まってしまう風通しの悪い日本社会の権威主義への批判とオルタナティブの提示としても機能していると思います。

そして対等と相互尊重の人間共同のあり方の中で、関わる全ての人間が、知性を尊重しているということが特徴的ではないかと思います。イデオロギーや運動論、もしくは権威によって牽引されるのではなく、絶えず知性を鍛え直しながら試行錯誤を繰り返している。間違っていることがわかった場合は反省したうえで、再出発していく・・・これも従来の運動には見られなかった特色といってよいでしょう。

特に現下で猛威をふるう日本型反知性主義に対抗するカウンターとしても従前として機能しているのではあるまいかと思います。本場アメリカにおける反知性主義が、社会構造的に分断された知の専有と傲慢さに対する、野の智恵、野の豊かな常識のもつ良識が歪んだ知性を批判しました。日本においての反知性主義とは「知らないで何が悪い」という居直りですが、それが路上から、そして象牙の塔を超脱するアカデミズムの双方から「撃たれる」という現象は前代未聞といってよいでしょう。お花畑とポエムに居直りを決め込む権威そのものを相対化し、人間を自律させる、人間をエンパワメントさせる知性が今立ち上がっているのだと思います。

それぞれが学生、市民、学者としての挟持を守り、生活領分を大切にしながら、相互尊重をしっかり保持しながら連帯している姿は、グラムシのいう「有機的知識人」の連帯が今、日本に立ち上がっているんではないかと想起させられてしまいます。

逆風はいやまして強いですが、この「いかがなものか」という良識豊かな反抗の灯火は費やしてはならないですね。






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