覚え書:「耕論:難民と日本 石川えりさん、滝澤三郎さん、ティンウィンさん」、『朝日新聞』2015年10月14日(水)付。

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耕論:難民と日本 石川えりさん、滝澤三郎さん、ティンウィンさん
2015年10月14日

 混迷するシリアなどからの難民が欧州にあふれている。安倍晋三首相は難民支援への拠出は表明したが、受け入れをめぐる具体策は見えない。日本は難民にどう対処すべきなのか。

 

 ■安全と平和、日本が提供を 石川えりさん(難民支援協会代表理事

 なぜ日本が難民を受け入れるべきなのか。それは日本に安全と平和ログイン前の続きがあるからです。危険がない所に滞在できることは、命が危険にさらされている人に提供できる大きな価値です。「日本に来て幸せになれるのか」という人がいますが、そこまで高いハードルを課す必要はないのです。

 「難民は永住するのか」と心配する人もいます。ドイツが旧ユーゴスラビア紛争による難民を40万人受け入れ、数年で帰国させた例がある。人道的な緊急避難措置とするのか、定住を支援するのかはその国の政府がコントロールできることです。

 日本の課題は、総合的な難民政策の欠如です。どのように受け入れ、社会の中でどう共生し、帰国の場合はどう支援するのか。世界の難民問題にどう関わるのかも含めた議論をし、政策をつくることが必要です。今は内閣官房の「難民対策連絡調整会議」に関係省庁が参加していますが、権限も予算も省庁ごとにばらばらです。一貫した視点で難民の支援や認定、定住に携わる省庁が必要です。

 韓国では2年前に難民法が施行され、難民認定後の支援内容や難民申請中の最低限の生活保障などが網羅されました。ドイツでは、迫害を受けた人は庇護(ひご)権を有することが憲法に明記され、難民支援政策の根幹となっています。

 先月、安倍晋三首相が国連総会で演説した際に、シリア難民支援への言及が注目されましたが、国をあげた議論がないなか、具体的な受け入れ策の表明がなかったのは当然だと思います。

 英独米などでは、シリア難民の9割以上が難民と認定されています。難民を定義する「難民条約」を拡大解釈しているわけではなく、あるべき解釈をしているだけだと私は思います。一方で、日本ではこれまで63人が難民認定を申請しましたが、認定は3人だけ。政府は独自の偏った解釈を続けています。

 ある男性は民主化デモに参加したため危険な状況にありましたが、政府の判断は「みんなが危険なのであって、あなた1人が危ない目にあっているのでない」というものでした。みんなが危険なら、みんな難民だと欧米諸国は判断するのではないでしょうか。

 日本は、難民を難民認定以外の方法で保護しようとする変わった国です。難民認定は受けられない人でも、多くが人道的な配慮で在留許可を得ています。なぜそこまで難民認定を避けるのか。トラブルの際に、責任を国が負わなければいけないという考えがあるのかもしれません。

 難民は「お荷物」というイメージがまだ強い。でも私たちは、可能性をもつ人たちとして日本社会が難民を受け入れるような、前向きな事例をつくっていくつもりです。(聞き手・鈴木暁子)

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 いしかわえり 76年生まれ。ルワンダ内戦をきっかけに、高校時代から難民支援に関わる。2014年12月から現職。

 

 ■弾力運用で受け入れ拡大 滝澤三郎さん(東洋英和女学院大学大学院教授)

 日本で難民認定が少ない原因は主に三つあると考えています。難民からの不人気、制度の乱用、そして難民条約の厳格な解釈です。

 いま、世界の難民の多くは日本から遠い中東やアフリカの紛争などから逃げた人たちです。シリア難民は400万人を超えていますが、2011年以降のシリア人の日本への難民申請は63人にとどまっています。欧州であふれる難民が大金を払って飛行機に乗り、日本に押し寄せることはない。日本とは言葉や文化の差があり、認定が厳しいというイメージもある。日本は不人気なのです。

 一方で、ネパールやミャンマーなどアジア諸国からの申請は目立つ。09年は難民認定と人道的な配慮による在留許可を合わせて、申請の4割近くを保護しました。でも、最近の難民認定は少ない。10年から在留資格があれば就労を認めたことで、難民とは言えない人を多く呼び込んだためです。不認定に対する異議申し立てに対応する難民審査参与員の一人は「難民は救いたいが、申請の中身を見ると厳しい」とこぼしました。

 日本は昨年、5千人の難民申請に対し認定はわずか11人だったとの批判が盛んです。だが、こうした実態を分析せずに「法務省は冷たい」と言うだけでは前に進みません。

 もっとも、審査する側にも問題があります。認定を増やすという意欲が見えない。法務省は、1951年にできた難民条約と現状の差を分かっていても、厳格な解釈を続けています。

 9月に公表された認定制度見直しの土台となる有識者会議の委員でしたが、変化を好まない体質を感じました。欧州では紛争を理由とするなど条約上は難民とされない人を「補完的保護」として難民と同様に扱っており、複数の委員が導入を求めました。でも、法務省は「待避機会」という一時的な雨宿りのような位置付けにとどめました。

 携わる人が日本の感覚で判断していることも問題です。治安が崩壊した国や紛争地の実情を知っているのか。警察や軍隊が銃を向ける中での命がけの反政府デモと、日本のデモは同じではない。難民保護にあてはめている国内法を弾力的に運用し、解釈を広げることは可能なはずです。

 「認定」にこだわる必要もありません。これまでも人道的配慮から在留を認めてきており、公的支援などを難民並みにすれば事実上の難民保護になる。他国で難民になった人を国連難民高等弁務官事務所UNHCR)の推薦で連れてくる「第三国定住」の活用も一つの策です。シリアの若者らを受け入れ、母国の再建を担う人材として育てればいい。様々な施策を用い、政府を挙げて受け入れ拡大にもっと踏み込むべきです。(聞き手・金子元希)

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 たきざわさぶろう 48年生まれ。76〜81年に法務省職員。国連勤務などを経て、07〜08年にUNHCR駐日代表。09年から現職。

 

 ■いつまでも「他者」のまま ティンウィンさん(ミャンマー難民)

 ミャンマーアウンサンスーチー氏が率いる野党・国民民主連盟(NLD)のメンバーとして憲法草案づくりなどに加わり、政治的な迫害を逃れるために1996年に日本に来ました。ミャンマーではアパレル会社を経営し、母国語や英語など4カ国語が話せます。でも、日本で就労許可が下りて最初に就いた仕事はパチンコ店の掃除で、生活は非常に不安定でした。

 難民認定を受けたのは99年2月。欧米に行った仲間からは、難民に認定されると生活が根底から変わると聞いていたので、連絡を受けた時は心の底からうれしく、興奮しました。しかし、入国管理局に手続きに行くと、自分で保証人を用意し、仕事も探すようにと突き放されました。

 ハローワークに通い、埼玉県の印刷機械部品工場の仕事を何とか見つけ、妻と3人の子どもを呼び寄せました。それから2カ月ほど過ぎたある日、10歳だった長男が涙を流しながら学校から帰ってきました。「言葉が分からず、授業についていけず、友達もできない。もう行きたくない」と。ショックでした。

 難民への語学研修などをしている外務省の外郭団体に相談しましたが、対象はインドシナ難民だけだと。弁護士の助けもあって、最終的に「特例」として受け入れてもらいましたが、なぜ出身国で差別をするのかと思いました。

 来日して16年。子ども3人は全員が大学を卒業し、日本で就職しました。日本国籍を取った子もいます。経験や能力を生かせなかった私は日本社会の負担になってしまったかもしれませんが、子どもたちは貢献するでしょう。

 一つ、興味深いデータを紹介します。米国、豪州、カナダ、韓国、日本に住むミャンマー難民を対象に、2004年にネットで「受け入れ国に永住したいですか?」と聞いたところ、米国と豪州は全員、カナダは9割、韓国は4割が「はい」でした。一方、日本はわずか2%でした。

 実感として大きな問題点は二つ。将来の生活が見通せない点と、社会保障が不十分な点です。また、文化的な障壁はどの国にもあり、外国人が適応しなくてはならないところも多いですが、日本社会にはもう少し、広い心を持ち、多様性を尊重してほしい。職場の待遇面でも、外国人は期間労働者とされ、日本人と同等の権利は認められないことが多い。多様性を受け入れない日本社会では、いつまでも私たちは「他者」なのです。

 もちろん私は、日本で多くの人たちに支えられて来ましたし、教育制度や社会資本も本当に素晴らしい。ミャンマーでは11月に民政移管後初の総選挙があり、それを機に今月中に永住帰国するつもりですが、日本での経験をぜひとも生かしたいと思います。(聞き手・中崎太郎)

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 TinWin 54年、ミャンマー中部のマンダレー生まれ。96年に来日し、日本でも母国の民主化運動に取り組んだ。

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