覚え書:「今週の本棚:小島ゆかり・評 『若山牧水 その親和力を読む』=伊藤一彦・著」、『毎日新聞』2015年10月11日(日)付。

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今週の本棚:小島ゆかり・評 『若山牧水 その親和力を読む』=伊藤一彦・著
毎日新聞 2015年10月11日 東京朝刊

 (短歌研究社・2160円)

 ◇歌人力、発揮した見事な読み解き

 牧水研究の第一人者である歌人・伊藤一彦は、じつは牧水の生まれ変わりのような人である。

 二人はともに宮崎県生まれ(牧水は明治十八年、伊藤一彦は昭和十八年)。同じく早稲田大学に学んだ(牧水は明治三十七年入学、同四十一年卒業。伊藤は昭和三十七年入学、同四十一年卒業)。牧水の父は医師であったが、祖父は江戸の生薬屋に奉公したのち西洋医術を学んで医院を開いた人。一方、伊藤の生家は薬品販売業を営んでいた。二人とも長男として生まれたが、家業を継ぐことはなかった。この不思議なほど似た境遇を経て、それぞれの時代を代表する歌人になった。ついでに言えば、牧水も伊藤もお酒と旅を好み、自然と人間を愛し、いい声の持ち主である。

 ひとつ違うことは、牧水は卒業後文学のために東京にとどまり、伊藤は帰郷した。そして、牧水が帰らなかった故郷から、牧水の歌と文学を、牧水という人を考え続けてきた。

 本書は、これまでの牧水研究の総括に加え、さらに新たな読み解きを試みつつ、より現代的な視点から、牧水の世界を捉え直そうとしている。牧水の人品、女性をめぐる問題、その「かなしみ」の本質、旅の理由、ターニングポイントの花などの九章構成。伊藤一彦の<歌人力>とでもいうべき、作品の読み解きが見事である。

 たとえば「運命の女−−小枝子」では、二つの新しい見解を示す。

吾亦香(われもかう)すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ『別離』

 初出不明のために特定できないでいた「君」について、伊藤は、牧水の日記や手紙を詳しく調べ、歌の内容に眼を凝らしつつ、「内田もよ」ではないかと推測する。早稲田の学生時代に知り合い、牧水に片恋の想(おも)いを抱いたと思われる女性である。すると「さびしききはみ」は、運命の女・小枝子や、ほのかに恋情の混じる友人・日高秀子を想定した場合とは、異なる感傷性を帯びることになる。

 さらに、小枝子を初めて本格的に歌ったのは、明治四十年六月号「新声」掲載の群作であることを、粘り強く検証している。

 また「牧水の破調・自由律を読む−−『死か芸術か』『みなかみ』の世界」では、句切れを中心に新しい読み(、、)を示す。

納戸の隅に折から一挺の大鎌あり、汝(なんぢ)が意志をまぐるなといふが如くに『みなかみ』

 牧水の高弟であり、牧水研究の先人でもある大悟法利雄が「七、九、六、一一、八」の句切れで読み、「定型の枠の外に出てしまった、一つの新しい調子の歌」(『鑑賞 若山牧水の秀歌』)と解するのに対し、伊藤は下句を「一二、七」で読み、結句の定型七音により、「破調であるにせよ『定型の枠』の中(、、)の歌」として、その魅力を記している。

 これらの画期的な指摘を含む各論を豊かな肉付けとして、メインテーマである「親和力」に、確かな説得力が生まれている。

 「近代」が上昇や発展や拡大をメルクマールとしているとき、牧水は反対のメルクマールで生きた。立身出世主義に関わらず、物質的、金銭的なものに無欲で、対人関係において見返りを求めることなく、自然と人間に対する親和的態度で自足感を得た。(「その親和性−−『くろ土』の世界」)

 牧水の「親和力」を読む( 、、、 、、、)とは、近代の続きを足早に生きる現代への、メッセージでもあるのだ。牧水生誕百三十年にふさわしい、意義ある刊行と思う。
    −−「今週の本棚:小島ゆかり・評 『若山牧水 その親和力を読む』=伊藤一彦・著」、『毎日新聞』2015年10月11日(日)付。

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