覚え書:「書評:死では終わらない物語について書こうと思う 釈徹宗 著」、『東京新聞』2015年10月18日(日)付。

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死では終わらない物語について書こうと思う 釈徹宗 著

2015年10月18日

◆普遍的な往生求めて 
[評者]立川武蔵国立民族学博物館名誉教授、インド学・仏教学
 周りの人が死んでいく。自分もまた死ぬ。私の肉体は確実になくなる。だが、それで「終わり」なのか。いやそんなはずはない。人の魂は輪廻(りんね)するという。ならば私は、次の世では犬に生まれ変わるかもしれない。浄土に生まれるといわれても実感はない。これが今の私だ。この書はこんな私の「死では終わりたくない物語」をバランスよく整理してくれた。
 平安時代の「往生伝」では、臨終時における阿弥陀仏(あみだぶつ)来迎の重視や芳香などの瑞兆(ずいちょう)が往生の証明である、といった傾向が強かったが、法然などの鎌倉仏教では日常の念仏の中に往生が見えるという方向に転換したと著者は指摘する。親鸞もまた阿弥陀仏の来迎を切望しなかった。
 本書は、往生について真宗的な観点から書かれてはいるが、真宗の立場を超えたより普遍的な立場を探ろうとする。それは、我々の精神の古層に響くものであり、前提や証拠なしに共感できるものであると著者はいう。さらに著者は、その精神の古層はナラティブ(物語)の領域に現れると指摘する。今、そのナラティブの伝統は真宗のみならず仏教、さらには世界において姿を消しつつある。その危機を本書は見事についている。
 それにしても「私の往生」はそれほど大切なことなのか。もっと大切なことがあるのではないか。例えば、世界平和。
文芸春秋・1620円)
 <しゃく・てっしゅう> 宗教学者・僧侶。著書『ブッダの伝道者たち』など。
◆もう1冊 
 池田晶子著『死とは何か−さて死んだのは誰なのか』(毎日新聞出版)。存在の謎、死の謎を問い続ける精神の物語。
    −−「書評:死では終わらない物語について書こうと思う 釈徹宗 著」、『東京新聞』2015年10月18日(日)付。

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