覚え書:「書評:ロンドン日本人村を作った男 小山騰 著」、『東京新聞』2015年10月18日(日)付。

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ロンドン日本人村を作った男 小山騰 著

2015年10月18日

◆軽業でジャポニスム演出  
[評者]大島幹雄=文筆家・興行師
 慶応三(一八六七)年一月、サンフランシスコから横浜に向かう船の乗客一行のうち八名は日本から軽業の海外興行に関係を持った人物たちだった。ビジネスチャンスを求め幕末に来日した欧米人にとって、手っとり早く金になると見なされたのが、軽業・曲芸興行だったのだ。船の乗客のひとりが、本書の主人公オランダ人ブレックマンである。本書は幕末から明治にかけて外国で日本人を見せることを事業にした、うさん臭(くさ)さをぷんぷん漂わせるこの男の波瀾(はらん)の生涯を、新聞雑誌さらには国勢調査記録などを丹念にたどりながら、明らかにした労作である。
 幕末に来日した彼は、最初はイギリスやフランス公使館の通訳として巧みに立ち回り、幕府の欧州使節団にも同行、幕府の金およそ二千五百万円を詐取するなど、なかなかの悪人ぶりを発揮する。このため牢獄(ろうごく)にも入ったこの男が次の金儲(かねもう)けの道具にしたのが軽業師や曲芸師たちだった。芸人たちが世界の度肝を抜くのは間違いないという確信があった。著者は興行師として生まれかわったブレックマンの活動を詳細に追いながら、当時欧米を席巻していたジャポニスムの底流に彼が手がけた軽業興行が、日本文化や日本人のイメージの供給源として重要な役割を果たしていたことも明らかにする。
 この怪しげな男が生身の日本人たちを陳列することで話題を呼んだ明治十八(一八八五)年ロンドンで開催された「日本人村」の仕掛け人で、いままで正体不明とされていたタナカー・ブヒクロサンと同一人物であることを明らかにしたことは本書の画期である。人間動物園になると明治政府が警戒したこの興行も彼の仕掛けであり、欧州で日本人を見世物(みせもの)にすることで金儲けしようとした、この異色の外国人の戦略がさらに鮮明になった。美術や工芸だけではなく、軽業や芸能、細工など日本人の技能を紹介することで、彼が西洋でもうひとつのジャポニスムを演出したことは間違いないだろう。
(藤原書店・3888円)
 <こやま・のぼる> 1948年生まれ。英ケンブリッジ大図書館日本部長。
◆もう1冊 
 ジャポニスム学会編『ジャポニスム入門』(思文閣出版)。十九〜二十世紀の西洋文化に影響を与えた日本文化の流れを概観。
    −−「書評:ロンドン日本人村を作った男 小山騰 著」、『東京新聞』2015年10月18日(日)付。

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