覚え書:「危機の真相:TPPの戦略的正体 政治が経済振り回す怖さ=浜矩子」、『毎日新聞』2015年10月17日(土)付。

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危機の真相:TPPの戦略的正体 政治が経済振り回す怖さ=浜矩子
毎日新聞 2015年10月17日 東京朝刊

(写真キャプション)甘利明TPP担当相(右)とフロマン米通商代表=米アトランタで1日、共同

 TPP交渉が大筋合意にこぎつけた。

 TPPとはそもそも何か。「Trans−Pacific Partnership」の頭文字だが、日本のメディアでは呼び名が分かれる。本紙は英語に素直に対応して「環太平洋パートナーシップ協定」と表現している。他紙では「環太平洋経済連携協定」というのも見受ける。

 このテーマが日本で話題になり始めた2010年春先ごろは「環太平洋戦略的経済連携協定」という言い方が主流だった。それもそのはずである。なぜなら、あの当時、TPPはTPPではなかった。TPSEPだったのである。TPとPの間にはさまっているSEは「Strategic Economic」だ。したがって当時、「戦略的経済連携」という日本語が前面に出たのも当然だった。

 ところが、いつの間にか、TPSEPからSとEが消えた。そして無色透明なTPPという名称が定着することになった。一体どういうことか。筆者はこの間、随分あれこれと臆測を巡らしてきた。

 恐らくは、「戦略的」という言葉のキナ臭さに、誰かが気がついたのだろう。環太平洋という領域を焦点に、戦略的な連携を結んでいく。この思惑があまり早く、あまり前面に出るとまずい。

 実はそこに狙いがあるとしても、そこがクローズアップされるようになると、物議をかもす。だから、ひとまず戦略的ははずそう。ついでに、経済も引っ込めて、何ともフンワリした感じのTPPにしておこう。どうも、そんな知恵を働かした人々がどこかにいそうな気がする。

 ところが大筋合意の前後のタイミングともなると、状況が少々変わってきた。まず筆者の目を引いたのが、安倍晋三首相の発言だ。去る4月29日、米議会での演説の際のことである。首相はTPPに言及した。英語で行われた演説の流れに即していえば、次の通りだ。まず「TPPは単なる経済的利益をはるかに超える」もので「我々の安全保障に関わる」テーマだと明言した。続いて「長期的にみたその戦略的価値(strategic value)」は「驚嘆すべきもの(awesome)」だと言っている。

 このくだりの公式日本語訳は次のようになっている。「TPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません」。大意としては、これでまあいいだろう。だが、英語ではTPPのstrategic valueがawesomeだと言っているのである。この語感が、前記の翻訳では、どうもしっかり伝わらない。かなり、やんわりとぼかされている感がある。

 何しろawesomeという言い方がすごい。awesomeの語感はまさしく「すごい」だ。「驚嘆に値する」とか「驚異的」の意である。今的な若者用語としてのawesomeには「すっげー」とか「やばい!」あるいは「テンション上がる!」的な意味もある。この言葉をTPPの「戦略的価値」について使うことには「驚異」ならぬ「脅威」を感じてしまう。

 首相のawesome発言は、TPP合意が近づく中でのものだった。そして、合意なった直後には、次の新聞の見出しが筆者の目を引いた。「日米同盟 より強固に」(10月8日付日本経済新聞朝刊)。TPP合意を巡る識者インタビュー記事の一つに、この見出しがついていた。発言者は米国戦略国際問題研究所(CSIS)の政治経済部長、マシュー・グッドマン氏だ。

 この記事の中で、グッドマン氏はTPPについて次のように言っている。「日米同盟をより強固にする大きな戦略的な価値もある。米国がアジア太平洋に戦略の重点を移すリバランス(再均衡)政策にとって格好の材料となる」

 事がなるまでは本音を隠す。狙いが成就したところで正体を現す。TPPにはどうもこんなイメージがつきまとう。グッドマン氏の言葉が満を持しての本音吐露なら、首相のawesome発言は少々フライングだったわけだ。

 ここで思いが及ぶのが、今日の欧州連合(EU)の姿だ。欧州における経済統合の動きは、元をたどれば軍事同盟構想だった。「欧州防衛共同体」を形成する。そのことによって独仏間の武力衝突を恒久的に封印する。それがそもそもの発想だった。だが、これがあまりにも刺激的に過ぎたため、早い段階で目的が経済統合にすりかえられた。

 本当の狙いは政治的であり、外交安全保障上の意図に発している。だが、あまりあからさまに戦略的意図を前面に出すと、嫌がられる。だから、さしあたりは経済のオブラートに本音を隠す。これが欧州統合の歩みの舞台裏だ。

 EUの場合、目指すところが恒久平和だったから、その点は許せる。だが、それでも、政治の思惑で経済を振り回すと、結果は怖い。今のユーロ騒動がまさしくそれだ。

 いわんやTPPにおいては、その戦略性がどうawesomeなのか。そこが問題だ。そこが怖い。若者用法ではなく、従来の意味で、本当に「やばい」かもしれない。

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 ■人物略歴

 ◇はま・のりこ

 同志社大教授。次回は11月21日に掲載します。
    −−「危機の真相:TPPの戦略的正体 政治が経済振り回す怖さ=浜矩子」、『毎日新聞』2015年10月17日(土)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20151017ddm005070008000c.html





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