日記:公的な人民としての「中流階級」という幻想

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 われわれの社会において、公的な人民は「中流階級」という非常に奇妙な名称を付与されていることに注目しよう。あたかも「平均的なもの/中庸」が素晴らしいかのようではないか。つまり、われわれの社会の支配的イデオロギーアリストテレス的なのだ。アリストテレスは、プラトンの見かけ上の貴族主義に対して、ちょうど中程に位置するものの優越性を設定したのだ。巨大な中流階級の創出が、民主主義的な憲法の避け難い基盤なのだと主張しているのはアリストテレスなのだ。今日、公的権力のプロパガンダを担う新聞(つまり大多数の新聞)が、中国の中流階級が五億人に達し(新聞は陶然として数え上げた)、彼らが新製品を消費し、個人主義的であることを満足げに報じるとき、これらの新聞はそうとは知らずにアリストテレスをなぞっているのだ。新聞の結論は哲学者のそれと同じだ。中国においては、中庸の思想たる民主主義が到来しつつあり、それにとっての人民とは中流階級の満足した人々の全体であり、資本主義的寡頭政の権力が民主主義的に正当なものだと承認すべく集団を形成しているのだ。
    −−アラン・バディウ(市川崇訳)「『人民』という語の使用に関する二四の覚え書き」、アラン・バディウピエール・ブルデューほか(市川崇訳)『人民とはなにか?』以文社、2015年、18−19頁。

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