日記:何といいますか。誰かが導くとか、誰かに導いてもらうという発想で社会参画とかって周回遅れどころの話ではないと思うのですが・・・はあ。

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現実の社会参画や運動形成においては、それは政党政治が、党首を起き、党員から構成されるように、なんらかの責任者や上下関係の如きものが必然的に要請されることは承知しております。

しかしながら、一方での現実は、その責任者の設置や上下関係だけで、別室で進行するかの如き問題も必然します。問題はそこで「阿呆らし。もうええわ」ってテーブルから降りてしまうことで、無関心を決め込んだり、全権委任をしてしまう選択をしないことではないかと考えております。

その意味では、なんらかの運動や社会に「参加」するということにおいて大切になってくるのは、結局のところ、誰かが導くとか、誰かに導いてもらうという発想で「参加」しないということなのじゃないのか知らん。

誰かが導くとか、誰かに導いてもらうという発想そのものが周回遅れかつ日本的ローカルな惰性であり、そういう認識で、水平方向に連帯し、諸事に対応していく、社会そのものを脱構築していく柔軟なアクションに関して、あーだこーだと「当てこすり」されましても、返す言葉が見つかりません。







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