覚え書:「今週の本棚:内田麻理香・評 『魔女・産婆・看護婦−女性医療家の歴史』=バーバラ・エーレンライクほか著」、『毎日新聞』2015年11月01日(日)付。

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今週の本棚:内田麻理香・評 『魔女・産婆・看護婦−女性医療家の歴史』=バーバラ・エーレンライクほか著
毎日新聞 2015年11月01日 東京朝刊
 
 ◇バーバラ・エーレンライク、ディアドリー・イングリッシュ著

 (法政大学出版局・2808円)

 ◇女性を呪縛した権力と医学の結託

 歴史上に名を残した人物は、文学、絵画、映画、漫画など、あらゆる形でよみがえる。このたび、フローレンス・ナイチンゲールが、漫画家、藤田和日郎(かずひろ)の手で『黒博物館 ゴーストアンドレディ』で登場した。レディことナイチンゲールが、ゴースト(幽霊)とともに闘う、藤田漫画のおなじみのアクションとして仕立て上げられた。

 ナイチンゲールは「クリミアの天使」というだけでなく、今や看護制度改革者、経営者、統計学者など幅広い活躍をした偉人として知られる。その実行力は、鬼気迫り、常人の偉業とは信じがたい。藤田の漫画は、人間界と異界の者たちの描写に定評があるが、そのナイチンゲールは、しばしば異界の「目」で読者を見据える。

 彼女が生きたイギリスのヴィクトリア朝では、医療に携わる女性は別の意味で恐れられた。看護婦(現在は「看護師」)は破廉恥で酒飲みとして蔑(さげす)まれていた。少し遡る時代、医師や看護婦、産婆(現在は「助産師」)として治療を施す立場であった女性は、魔女として迫害された。その後、医療が男性に奪われていく過程を描いたのが本書『魔女・産婆・看護婦』である。

 魔女狩りは、ヨーロッパでは一四−一七世紀に及んだ。「産婆ほどカトリック教会に害をなすものはない」という資料が残っている。魔女狩りは女性医療者を追い出し、汚れた者と位置づけたと著者は述べる。人に害をなす「魔女」だけでなく、治療を施す「救済する魔女」さえも糾弾されたという。

 「魔女」医療者はなぜそこまで脅威だったのか。彼女らは信仰や教義よりも経験や検証を重んじた。当時の権力者が医療や医薬に対して、行動的で探究心旺盛だった彼女らを恐れたのは、その実践が当時の<科学>だったからである、と著者は指摘する。女性を医療から追い出す一方で、支配階級は医療家を養成する。つまり、専門職として大学で養成された男性の医師だ。女性は大学から締め出され、排除される。ただ、近代医学の父パラケルススが一六世紀に「自分の知識はすべて魔女に教えられたことばかり」と告白し、薬学に関する自著を燃やしたという話は、記憶の片隅に止(とど)めておきたい。

 正規の男性医師が増えていく中、冒頭のナイチンゲールが登場する。しかし、その頃、女性の活躍する余地は看護の場しかなかった。彼女は上流階級出身であったためか、看護婦をレディの天職として位置づけた。ナイチンゲールの偉業は言うまでもないが、その後、看護学生の数が増加するに伴い、女子医学生の数が減少した。性役割を固定化してしまった負の側面もあるだろう。

 本書の後半は、舞台がヨーロッパから米国に移る。一九世紀末前後は、米国人女性の階級差が著しい時代だった。中流上層階級の女性と、労働者階級の女性は、まったく人種の違う二種類の女性がいるように扱われた。上流階級や中流上層階級の女性は、暇で怠惰な生活を強いられ、病弱という烙印(らくいん)を押されて社会から切り離され、医師のお得意様となった。医療費を支払う夫がいるからこそである。彼女らには「卵巣心理学」という学問のもと、卵巣を切除して人格を変えようとするなど、おぞましい治療まで施されることになる。

 労働者階級の女性は、病弱ではなく「病原菌」として扱われる。しかし、使用人として中流上層階級に入る女性や、彼女らが縫った衣類は、上流階級の家庭に病原菌を持ち込むとみられた。つまり、同じ女性でも、その階級差で医学による扱いが異なり、分断されたのである。

 紆余(うよ)曲折はあったものの、その女性の分断を解消したのは女性であった。公衆衛生改革に乗り出したのは、家庭の健康をつかさどる役目を担っていた中流上層階級の女性であった。女性を病にし、または病原菌にしたのは、当時の権力と医学のイデオロギーであった。その軛(くびき)から自らを解放したのは、女性自身だ。

 前半のヨーロッパの医療従事者の魔女狩りと、後半の米国の女性の「やまい」では、話題が急転換するように思えるだろう。しかし、当時の権力と「医学」らしきものが結託して、女性を制限していたことは共通している。その縛りから逃れ、女性性と知識、実行力で改革を体現したナイチンゲールを、藤田和日郎は異界の者の目で描いた。確かに恐れつつも、尊敬するに値する女性だ。

 現在は、日本でも医学部に進学する女子の割合も、女性医師の割合も増えた。女性は医療の補助者ではなくなりつつある。しかし、先日、高等学校で配布される保健体育の副読本で、「女性の妊娠しやすさと年齢」のグラフに出典不明瞭な、改ざんされた可能性が高いデータがあったというニュースがあった。医療という<科学>は、権力者が私たちをコントロールする手段になり得る。これは、女性だけでなく、男性も懸念すべき事項であろう。本書は、医療制度には私たちを振り回すどれほどの力があるかを示唆している。(長瀬久子訳)
    −−「今週の本棚:内田麻理香・評 『魔女・産婆・看護婦−女性医療家の歴史』=バーバラ・エーレンライクほか著」、『毎日新聞』2015年11月01日(日)付。

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