覚え書:「テロへの手紙FBにつづった遺族が語る 世界から共感」、『朝日新聞』2015年11月22日(日)付。

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テロへの手紙FBにつづった遺族が語る 世界から共感
パリ=渡辺志帆
2015年11月22日

(写真キャプション)アントワーヌ・レリスさん=クリストフ・アブラモビッツ氏撮影、ラジオフランス提供

 130人が犠牲となった13日のパリ同時多発テロで妻を失いながら、テロリストに向けてフェイスブック上に「憎しみという贈り物はあげない」と手紙をつづったパリ在住のフランス人映画ジャーナリスト、アントワーヌ・レリスさん(34)が20日、朝日新聞の単独取材に応じた。世界中に広がる反響に「私の方が圧倒されている。人々はあの手紙に、新しいものを見いだしたわけではない。平和や愛、寛容の中で自由に生きたいという思いを呼び起こされたのだと思う」と語った。

「生きる喜び、持ち続けたい」 パリ・テロ遺族一問一答
 悲劇から1週間。仏政府は20日、非常事態宣言の3カ月延長を決めた。仏空軍は過激派組織「イスラム国」(IS)が支配するシリア北部を空爆。事件の首謀者とされるアブデルアミド・アバウド容疑者は死亡したが、各国はさらなるテロに対し厳戒態勢を敷く。

 レリスさんは「正直なところ、テレビもラジオもつけず、新聞も読んでいない」と言った。「世界中からのメッセージを、じっくり読んでいる。読むたびに心を動かされる。いいかげんに読むわけにはいかない」

 あの夜、パリ中心部のコンサートホール「ルバタクラン」で、妻エレーヌさん(35)を亡くした。

 遺体との対面まで2日かかった。病院という病院を捜し回った。「彼女を暗闇の中に置き去りにしたと思った。拷問のようだった」

 《君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる》

 テロリストへの言葉は、妻を見つけ出した後、保育所に預けていた1歳5カ月の長男メルビルちゃんを連れて自宅に帰る途中、少しずつあふれてきたという。

 「憎しみに屈するわけにはいかない」と、自分に宛てて書き始めた言葉だった。同時に、息子への思いもあった。「彼には、世界に目を見開いて生きてほしい。世界を、より美しい場所にする人の一人になってもらいたい」

 メルビルちゃんに「お母さんは帰ってこない」と語りかけると、少しだけ泣いたという。「私も一緒に泣いた」。寂しさが募った時は、息子を抱いて2人でエレーヌさんの写真をながめ、好きだった音楽を聴き、ともに涙する。「泣くことは悪いことじゃない。寂しい時には当たり前のことだ」

 《私と息子は2人になった。でも世界中の軍隊よりも強い》。手紙に、こう書いた。保育所に週4日通い、ミニカーで遊び、公園に出かける。「普通の親と子の、ごく普通の毎日」を取り戻そうとしている。

 レリスさんの手紙はフェイスブックで20万回以上共有され、日本を含め各国から無数のメッセージが届いた。「フランスやサウジアラビアイスラム教徒からも届いた」という。「テロはイスラム教の産物ではない。問題は、宗教の名の下に操られた人々だ。人さえためらいなく殺せる。そんな盲目的な憎しみに、私たちは盲目的な愛で答えよう」

 すべてのメッセージに返事を書き、いつか息子と、メッセージをくれた人たちと会う旅に出たいと思う。「私は何も特別な人間ではない。憎しみの感情に襲われそうになった時は、この手紙に立ち返って、生きる喜びを持ち続けたい」(パリ=渡辺志帆)
    −−「テロへの手紙FBにつづった遺族が語る 世界から共感」、『朝日新聞』2015年11月22日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/ASHCP2JHGHCPUHBI00C.html


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「生きる喜び、持ち続けたい」 パリ・テロ遺族一問一答
聞き手=渡辺志帆、ソフィー・デュピュイ2015年11月22日05時07分

 アントワーヌ・レリスさんとの主な一問一答は次の通り。

テロへの手紙FBにつづった遺族が語る 世界から共感
パリ同時多発テロ
 ――同時多発テロの発生から1週間が経ち、人々はテロに負けまいと街に繰り出しています。いたるところでトリコロール(フランス国旗の三色)を見かけます。

 正直なところ、テレビもラジオもつけず、新聞も読んでいません。人々が通りに繰り出し、街がトリコロールに染まっているとは知りませんでした。まさに「フランス人気質」の表れといえるでしょう。

 テロリストは、私たちの自由を煩わしく思い、恐れ、攻撃する。その自由とは、考える自由であり、楽しむ自由、愛しあう自由、テラスのあるバーに行く自由、単純に人生を楽しむ自由です。それなら、私たちはこうした自由をもっと満喫することで応じようと考えるのです。ただ、それはフランス人だけの気質ではないようですね。世界中の人からメッセージをもらいましたから。

 人々は、あの手紙に何か新しいものを見いだしたのではありません。平和や愛、文化、寛容の中で再び自由に生きたいという意思を呼び起こされたのだと思います。誰もが「攻撃を受けるなら、私はこの思いをより強くする」という気持ちを抱いています。自分らしくあり続ければ、私たちは勝てる。テロリストたちは、私たちより先に疲れ切ってしまうでしょう。

 ――手紙の反響は?

 世界中から反響がありました。どれもが深く、親密で、長いものでした。「感動した」と書いてあるものもありました。「他人を疑う感情に心が支配されそうだったけれど、あなたのおかげで、深く考え、いたわりを受け入れる心を持つことにした」という人もいました。とても心を打たれました。これまでソーシャルネットワークは信用していなかったし、こんな気持ちになるとも思いませんでした。

 ログイン前の続き――メッセージは読みましたか。

 まだ全ては読めていません。初めの300通を読み、一通ごとに心を動かされています。後で読むために、すべて保存してあります。メッセージをくれた人に、一つひとつにお返事しますと伝えたい。今はただ私の方が圧倒されています。これ以上何もできません。いいかげんに読むわけにはいかないので。メッセージの意味を正確に理解したいのです。

 なぜ私の手紙に感動してくれたのか、メッセージをくれた人たちに直接会って知りたいとも考えています。今ははっきりとは分からないけれど、それぞれ個人的な理由で、感動してくれたのだと思います。

 ――イスラム教徒からもメッセージを受け取ったそうですね。

 フランスや北アフリカサウジアラビアイスラム教徒からもメッセージが届きました。「テロリストたちは神の名の下にやっているというが、それは私が祈る神ではない」と書いてありました。テロは、イスラム教の産物ではない。問題は、宗教の名の下に操られた人々です。人々に何かを吹き込むには、宗教を使うのが最も効果的だとテロリストたちは知っています。そうすれば、人さえためらいなく殺せる。そんな盲目的な憎しみに、私たちは盲目的な愛で答えましょう。ある女性は私にこう書いてくれました。「あなたに、私の盲目的な愛を贈ります」。とてもすばらしい表現だと思いました。

 ――なぜ手紙を書いたのですか。

 妻と対面した後、少しずつ言葉が浮かんできました。彼女と2日間も会えず、病院という病院を探しました。その間、彼女を暗闇の中に置き去りにしたと思い、拷問のようでした。とてもつらかった。それが彼女と対面できて、感情が少しほぐされ、私は再び前を向きました。疑う気持ちは消え、彼女はここにともにいると分かりました。

 彼女と会ってから、(息子の)メルビルを迎えに保育所に行きました。帰り道、言葉があふれてきました。一つひとつの言葉をじっくり考えましたが、とても早く書き上がりました。校正はほとんどしませんでした。それは、私が最初から表現したいと思っていたことそのものでした。

 でも、自分以外の誰かと共有しようとは思わなかった。共有するとしても、息子や親戚だけと思っていました。

 ――憎しみが最初にわき出てきませんでしたか。

 最初に感じたのは、憎しみではありませんでした。(事件が起きた)金曜日はいろいろな気持ちが入り交じっていました。彼女の安否が分からない間、二つの気持ちが共存していました。一つは、彼女は事件の渦中にいて被害に遭ったと考えることからくる、この上ない絶望です。それと同時に、被害を免れただろうという希望もありました。

 その後に襲って来たのは悲しみでした。憎しみも続いたかもしれませんが、かろうじて踏みとどまりました。私は何も特別な人間ではありません。この先、不信にさいなまれることがあるかもしれない。でも憎しみの感情に襲われそうになった時は、この手紙に立ち返って、生きる喜びを持ち続けたい。

 ――手紙は息子さんにも向けられていますか。

 この手紙は、間接的には息子に向けたものですが、何よりも自分自身に向けたものでした。私が彼に教えたいことでもあります。彼に重荷を負わせたくはありません。私が彼の人生に何をしてあげられるのか分かりませんが、彼がどうしたいのか選べばいいのです。彼の人生なのですから。

 ――息子さんにはこの状況を理解していますか。

 話しました。少しだけ泣いて、私も一緒に泣きました。うそはつきませんでしたが、すべてを話したわけでもありません。彼女がどういうふうに亡くなったかは話さなかった。もう帰ってこないとだけ伝えました。

 私と彼はいま一つのチームです。一緒に頑張らないといけない。彼は母親がいなくなったことを感じ取っています。寂しさが募ると彼は母親の写真をながめます。そんな時は一緒に話して、抱き合い、音楽を聴き、泣きます。泣くのは悪いことではない。寂しい時には当たり前のことです。

 それ以外は、普通の赤ちゃんと同じ生活を送っています。保育所に週4日通い、ミニカーで遊びます。普通の親と子の、ごく普通の毎日です。

 ――ラジオで、息子さんには目を見開いていてほしいと話していましたが、どういう意味ですか。

 彼には、世界に目を見開いて生きてほしい。世界を、より美しい場所にする人の一人になってほしい。こうしたまなざしをもつことは、一つの本しか読もうとしないような人たちには、無益に思えることでしょう。でも私は、世界に美しさを見いだしてほしい。

 ――日本からのメッセージもありましたか。

 日本からのメッセージも受け取りました。すでに読んだ300通の中にもありましたし、まだ読めていない何百通もの中にもあるでしょう。翻訳してもらわないといけませんが。そして直接お会いして、理解したいと思っています。

 人々への興味をもう一度持ち始めなければ。私はジャーナリストですから。

 メルビルを連れて、(メッセージをくれた)世界中の人に会いに行って、話を聞きたいと思います。(聞き手=渡辺志帆、ソフィー・デュピュイ)
    −−「「生きる喜び、持ち続けたい」 パリ・テロ遺族一問一答 聞き手=渡辺志帆、ソフィー・デュピュイ」、『朝日新聞』2015年11月22日(日)付。

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