覚え書:「インタビュー:全体主義の芽を摘む 強制収容から逃れたボリス・シリュルニクさん」、『朝日新聞』2015年12月01日(火)付。

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インタビュー:全体主義の芽を摘む 強制収容から逃れたボリス・シリュルニクさん
2015年12月01日

(写真キャプション)ボリス・シリュルニクさん=東京都北区、西田裕樹撮影

 第2次大戦中のフランスで、ユダヤ人一斉検挙からやっとの思いで逃れた少年は、長くつらい「心の戦後」をどのように乗り越えてきたのだろう。精神科医で作家のボリス・シリュルニクさんは、自らの生い立ちを長らく封印してきた。その凍りついた言葉を溶かしたものとは。悲劇をうんだ全体主義の再来を防ぐには何が必要か。

 ――この70年をどう振り返りますか。

 「第2次大戦の悲劇で、私は幼いころ、ほとんどの親族を失いました。両親とも(ナチス・ドイツに協力していた)フランスの警察に捕らえられ、ドイツに引き渡されてアウシュビッツの収容所に送られました。ウクライナ生まれの父は(抗ナチスの)レジスタンス活動をしていて、1930年代にはユダヤ人の受け入れ先を探して日本を訪ねていました。日本土産の小さな陶器のイヌが自宅にあったことをおぼえています」

 「私も6歳のとき、フランスの警察に連行されたのですが、強制収容所へ移送される途中で脱走しました。戦後、私にはふたつの選択肢がありました。ひとつは、ドイツや、ナチスに協力したフランス人を憎み、過去にとらわれ続けて生きること。もうひとつは、恐怖や悲劇、何が起きたかを理解し、何とか職業を身につけてよりよく生きること。私は後者を選びました。許すわけではありませんが、悲劇を自分が生まれ変わるきっかけにしようと思ったのです」

 ――生い立ちを公に語り始めたのは80年代に入ってからですね。

 「話せなかったのです。言葉が凍りついてしまったようでした。戦争が終わって、フランスの警察に捕らえられてからの脱出劇を語っても大人は信じてくれません。お話がうまいね、と小銭をくれる大人もいるほどでした。文句を言うのはやめなさい、私たちも戦時中は苦しかった、と言う人もいた。いつのまにか、私の人格はふたつに分裂していました。友達とふつうに笑って遊ぶ自分と、心の棺(ひつぎ)に生い立ちを封じ込めている自分。社会と共有できない歴史があると、疎外された気分になります。心に秘密の暗いものを抱えているようでした」

 「フランス社会は、自国政府がナチスに協力したことから目をそむけていました。フランス人全員がレジスタンスに参加したかのような物語こそ、多くの人が聞きたい話だったのです。戦争で破壊された国家を復興させなければならず、国内を二分するような葛藤が起きかねない歴史を封じ込めた。過去の問題に向き合えるようになったのは、戦後の復興をとげてからです。何十年もかかりました」

 ――ユダヤ人の強制収容所送りに積極的だった仏高官の罪を問う「パポン裁判」もありました。

 「なぜ自分は迫害されたのか。なぜ両親は殺されたのか。たった一人で歴史に向き合い、心のなかで反芻(はんすう)していたことを公に語れるようになり、分裂していた自分がようやく一人に統合されたようでした。一斉検挙の生き残りとしてメディアに私の名前が出たこともあって、話を聞きにくる人もいました。凍った言葉が溶け始め、他者との対話を通じて自分の体験を理解できるようになりました」

 「ただ、パポン裁判には居心地の悪さもありました。裁判は罪を犯した人間を裁くものです。あの時代、罪を犯したのは(国の)システムでした。(ビシー政権下で)地方の役人だったパポン氏は、体制に寄り添って生きてきた。ナチスに協力する病んだフランスのシステムに絡め取られていたのです。彼を投獄してすむ問題とは思えませんでした」

    ■    ■

 ――語り始めて、記憶と事実の違いに気がついたそうですね。

 「生い立ちを周囲に自由に話せなかったとき、自らを脱出劇のヒーローとして心の中で繰り返し語っていた。後に事実とは違う部分もありました。駆け下りたはずの階段が3段しかなかったり、脱出を助けてくれた女性は金髪ではなく黒髪だったり。記憶は真実の断片です。無意識に修正を加えて勇気あふれる物語にして、苦しまないようにしてきたのでしょう」

 「共同体の物語も、個人の記憶と一致しないことが多い。集団的な物語は、その時々の政治に取り込まれやすいものです。そうならないためには、実際に何があったのか、誰が何をしたのか。みんなで繰り返し考えることです。考えることは疲れますが、全体主義の再来を防ぐ唯一の方法です」

 ――全体主義の芽はどこに?

 「歴史を振り返ると、共通点があります。国力が弱くなっているとき、社会が混沌(こんとん)としているときは英雄が求められる。カオスか私かどちらかを選べと迫りながら、権力を掌握していきます。催眠術をかけるように、人々のなかに眠っている怒りを呼び覚まして操作する。同じフレーズを繰り返し聞かされることで思考が停止する。服従は一種の幸福感をもたらします。考えることは疲れますから。討論を認めない文化では、扇動者が世論を支配するようになる。そして全体主義に身を委ねていく」

 「民主主義は手間がかかるシステムです。他人と対話をして、異なる価値観も受け入れなければならない。相手を理解するには、知識も身につけなくてはならない。これに対して全体主義は、みんなと同じことをオウムのように繰り返しているから楽だし、仲間にもなりやすい。そのうち、自分たちとは異なるものを軽蔑するようになります。そして他者を抑圧することを罪とは思わなくなる。(ナチス政権下での戦争犯罪者を裁いた)ニュルンベルク裁判で多くの被告が罪など犯していない、従っていただけだ、と言いましたね」

    ■    ■

 ――ドイツのメルケル首相が今春来日したときに独仏和解に触れ、「隣国フランスの寛容な振る舞い」に言及しました。東アジアでは、日本は「中韓がフランスじゃない」、中韓は「日本がドイツじゃない」と言い合う構図です。

 「私はドイツの若者に希望を持っています。ミュンヘンには、ドイツ政府が新しくつくったナチズムの歴史を学ぶ記念館があります。この11月、戦争体験者や学生、芸術家、ジャーナリスト、作家、研究者など大勢を巻き込んで考える催しがあり、私も招かれました。ドイツの若者は勇気と長い時間軸、広い視野を持って、過去に何が起きたのか、どうすれば防げるかを議論しています。現在の若者にとって(戦争の)過ちは、2世代も3世代も前の話です。欧州には全体主義の傾向が戻ってきている面が少しありますが、賢くしっかりと向き合っていこうとする若者に希望を感じます」

 「私は(仏紙)シャルリー・エブド襲撃事件で友人の漫画家を失いました。権力を掌握するためにイスラム教を使っている集団がいる。しかし、ある意味、いちばんの犠牲者は一般のイスラム教徒だと思います。こうした憎しみの連鎖を断つには、自分たちとは違うものを見いだす喜びを子どもたちに教えなければならない。性、文化、科学、宗教においても、他者を発見し、自分と違うものを見いだす喜びを知ることが大事です」

 ――私の世代は戦争体験者からお話を聞けます。次の世代にはどう伝えればよいでしょう。国家や民族の対立の種をまくことにつながりかねないとして「寝た子を起こすな」という意見もあります。

 「現実を否認しても、問題は解決しません。むしろ時限爆弾のように、ちょっとしたきっかけで爆発します。親は子どもたちに、自分が歴史をどう理解しているかを伝えることが大事です。そして親と同じ考えを持たなくてもいいけれど、子どもたちも自分の判断で物事を考える責任があることを伝えるのです。社会の意図的な記憶喪失こそが全体主義の再来を招く。私はそう思っています」

    *

 Boris Cyrulnik 1937年仏ボルドー生まれ。精神科医、作家。著書に「憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜」など。

 ■戦争をいかに「想起」させるか 成蹊大学准教授・板橋拓己さん

 ドイツによるユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)については、フランスやオーストリアなどにも後ろめたい加担の過去があります。ニュルンベルク裁判を通じて、ホロコーストを念頭に置いた「人道に対する罪」という概念が生まれますが、裁判はあくまでドイツ人を対象にしたもので、ホロコーストも判決では重視されませんでした。

 戦後復興を優先したかったヨーロッパ諸国にとって、対独協力やユダヤ人迫害の過去は忘れたい出来事となります。フランスでは、反ユダヤ法を制定したビシー政権の過去は忘却され、国をあげてナチスに抵抗したという「レジスタンス神話」が戦後の出発点でした。ユダヤ人が声をあげられるような環境ではなかったのです。

 ドイツでは世代交代に伴い、ホロコーストへの関心や反省が1960年代半ば以降高まり、「過去の克服」が進められていきますが、フランスの沈黙は長かったと言えます。70年代から外国の歴史家を中心にビシー政権の実態解明が進むのですが、仏政府が公式に過ちを認めるまで、シラク政権となった95年までかかりました。

 冷戦終結前後から、ヨーロッパで歴史認識の見直しが進み、いまやホロコーストを認めることは統合欧州への「入場券」です。

 シリュルニクさんが招かれたミュンヘンの記念館を今夏、訪ねました。ナチズムの資料を集め、歴史を学び、想起する場所として、ナチ党本部跡地に建てられています。30億円あまりの建設費は、国と自治体で負担したそうです。歴史学の成果を反映した説明パネルや映像を用いて、将来の世代に伝えたい「過去」が提示されています。

 ドイツでは金銭的補償や戦犯の訴追がほぼ終わり、戦争を体験していない世代に対し、過去をいかに「想起」させるかに力を尽くす時代に入っていると言えます。

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 いたばしたくみ 1978年生まれ。国際政治史、欧州政治史。著書に「アデナウアー 現代ドイツを創った政治家」など。

 ■取材を終えて

 パリで同時多発テロ事件があった11月13日の晩、シリュルニクさんは、インタビューで触れたセミナーに参加するためミュンヘンにいた。メールで連絡をとると、「服従するのでもなく、復讐(ふくしゅう)するのでもなく」と返事をくれた。「フランスには大勢のイスラム教徒がいます。彼らにはなんの責任もありません」

 自分と異なる他者を発見する喜びを見いだす「開かれた教育」こそが「憎しみの連鎖や狂信を防ぐ方法」と添えてあった。「宗教、指導者、救世主」の周辺に不当にはびこりかねない不寛容な支配に対抗するには、異なる文化への敬意や対話が必要だと。シリュルニクさんは、言葉を凍らせて生きることの悲しみやつらさを知り抜いている。だからこそ、封印されている言葉に耳を傾けようとする想像力と、そうした社会が持つ強さに希望を託しているのだと思う。(編集委員・吉岡桂子)
    −−「インタビュー:全体主義の芽を摘む 強制収容から逃れたボリス・シリュルニクさん」、『朝日新聞』2015年12月01日(火)付。

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http://digital.asahi.com/articles/DA3S12094409.html

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