覚え書:「今週の本棚 中島京子・評 『父を見送る−家族、人生、台湾』=龍應台・著」、『毎日新聞』2015年11月22日(日)付。

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今週の本棚
中島京子・評 『父を見送る−家族、人生、台湾』=龍應台・著

毎日新聞2015年11月22日 東京朝刊


 (白水社・2592円)

個人が抱える時間と歴史

 11月に入って、習近平馬英九の歴史的会談がメディアを騒がせた。東アジアの歴史はまた大きく変わろうとしているのだろうか。総統選を控えて、台湾の今後から目を離せない。

 龍應台(りゅうおうたい)は台湾のベストセラー作家で、2012年から2014年にかけては馬政権の文化部部長も務めた、台湾文学界の重鎮。日本でもノンフィクション『台湾海峡一九四九』が翻訳されて話題を呼んだ。本作は、その大著と対を成すような内容のエッセイ集だ。『一九四九』が、タイトル通り大陸と台湾の分断の年を振り返り、抗日戦争と国共内戦の結果がもたらした歴史の激変、それが個人に及ぼした影響を描き出す壮大な試みだったのに対し、本作では60年以上の時を隔てた現在の、家族と台湾の姿が映し出される。あの年、すぐに帰るつもりで一人息子を残して故郷を離れ、辿(たど)り着いた台湾の地で四人の子どもを育てることになった両親はすっかり老いた。母は認知症を患い、父は鬼籍に入る。

 年老いた母は、著者の兄といっしょに台湾南部の屏東(へいとう)県で暮らしている。香港を拠点に仕事をしていた著者が訪ねて行くと、「あんた、うちの娘によく似てる」とつぶやく。たまに田舎の美しい風景を見せようと行ったことのない場所にドライブに連れ出せば、「このまままっすぐ行って曲がったら家がある」と言い張る。台湾の美しい山並みが、遠い大陸は浙江省の山々を思い出させていたのだ。そんな母に、著者はマニキュアを塗り、化粧を施す。かつて、おしゃれが大好きだった母のために。どこにいても「家に帰る」という母親を見つめて、著者はこんなふうに書く。「母の帰りたいというその『家』は、もう、どれほど有能な郵便配達員でも見つけ出すことができない。彼女の家はもう、三次元空間には存在せず、ただ時間のなかにある。(中略)母は、そんな『タイムマシン』に乗った旅人だ。でもこの旅に、帰り道はない」

 龍應台の文章は、なにげない日常を掬(すく)い上げる。読んでいると誰もが、自分の老いた父母や祖父母を、あるいは親しい年老いた友人を、思い浮かべずにはいられない。そして龍の筆は、その人たち一人一人が、たとえ多くのことを忘れてしまっていたとしても、長い時間と歴史の重みを、個人の中に抱えて生きていることを思い出させる。

 龍應台は台湾生まれで、アメリカに留学し、ヨーロッパに渡り、ドイツ人の夫との間に二人の息子を設けた。だから、『一九四九』が息子へ語りかける形で書かれていたように、本書にも息子に向けられる視線があり、それはしばしば子離れに苦労する一人の中年女性の実感であるところが共感を呼ぶ。異文化との出会いにもしばしば言及する。日常で気づかされるハッとする瞬間を切り取る感性の柔らかさに、つい笑いを誘われたり、胸を衝(つ)かれたりして、随筆の持つ豊かさを堪能した。

 圧巻は、父が十六歳で別れを告げ、戻ることのなかった故郷湖南省を、その遺骨を携えて訪ねるくだりだろうか。前段として、著者が幼いころに、父が詠唱し、娘である著者にも暗唱させた唐詩のエピソードがある。娘はしっかりそれを覚えていて、老いて歩みのおぼつかなくなった父の手を取り、ダンスを踊るように唐詩のリズムに合わせていっしょに歩いたものだった。

 遺骨とともに訪れた大陸の小さな村で、娘は初めて父以外の人が発する湖南訛(なま)りを聞き、思わず涙する。ここでも作家は、父の生きた長い、激動の現代史に、温かく真摯(しんし)な眼差(まなざ)しを投げている。(天野健太郎訳)
    −−「今週の本棚 中島京子・評 『父を見送る−家族、人生、台湾』=龍應台・著」、『毎日新聞』2015年11月22日(日)付。

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http://mainichi.jp/articles/20151122/ddm/015/070/022000c



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