覚え書:「今週の本棚 中村桂子・評 『空海』=高村薫・著」、『毎日新聞』2015年11月29日(日)付。

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今週の本棚
中村桂子・評 『空海』=高村薫・著

毎日新聞2015年11月29日

身体体験に裏打ちされた言語宇宙

 空海という人、なんだかとても気になる。しかも大天才と思う一方で親しみを覚えている自分がいるのである。ところが、改めて考えてみると、高野山を拓(ひら)いたとか、中国へ渡って密教を日本に持ちこんだとか、嵯峨天皇橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに三筆と言われる書の名人だとか、断片的な知識は浮んでくるが、実像は見えない。日本中に訪れた跡があるという弘法大師伝説まで思い出すと、ますますわからなくなる。

 実は、これまでにも空海について書かれた本は手にとってきた。しかし、宗教・思想の面からの解説には、天才空海は見えても、なぜか親しみを感じる空海とは結びつかないところがあった。ところが本書がそれを解決してくれた……ような気がしている。これまで読んだものがすべて男性の著作であったのに対し、女性が書いたからか。著者には叱られるかもしれないが、そんな気もする。著者は阪神淡路大震災の体験と東日本大震災への思いをもとに高野山や四国を訪れ、空海の体験を自身に重ね合わせる。また、東北地方に残る大師信仰の姿も追う。「二十一世紀を生きる一日本人にとっての、二十一世紀の等身大の空海像を捉えたいと切に思う」と考えての旅は、写真の助けもあって臨場感に富む。

 まずは、高知県室戸岬御厨人窟(みくろど)である。「谷響(ひびき)を惜しまず、明星来影す」。自身の肉体を追いつめ、真言を唱え続けたところ、明星が体の中に飛びこんできたという有名なエピソードだ。若くして、世界と自身との区別が消える体験をした空海の出発となる地を訪れた著者は、今もそこは荒波が岩に砕ける轟音(ごうおん)ばかりであったという。その体験が空海を仏教に向かわせたのだが、その時「既知の仏教の言葉では捉えきれない地平を垣間見ていた可能性」があり、空海の魅力は、彼がそのカリスマ性に留(とど)まらず、それを言葉で分節し、体系化する試みを捨てなかったところにあると著者は指摘する。その結果、『大日経』に説かれている「地・水・火・風・空」の五大に「識」を足して六大にするという独創性を発揮したのだと。仏教の難しいところはわからない。しかし、「身体体験に裏打ちされた言語宇宙」こそ、二十一世紀の今、私たちが求めているものであることは確かである。著者が地震体験から出発しているように、それは自然と人間との関わりであり、空海がそれを示してくれるからこそ、惹(ひ)かれるのだろうと思うのである。

 ただ、あまりの天才ゆえにその身体と言語のありようは同時代人に受け継がれず、空海は消え神話化されて弘法大師伝説になってしまったのだ。

 ここで著者は「空海は二人いた」という。空海はその死と共に消え去り、一方で弘法大師としての空海は今も生き続けているのである。中国の名僧恵果(けいか)が「相待つこと久し」と言って千人以上の弟子の中から真の弟子として選んだと言われる空海。同じ密教でも最澄亡きあと比叡山では弟子たちによって天台教学の深化が続いたのに比べて、優れすぎていた空海は長い間消えてしまった。その代りに現れた弘法大師は神格化され、大日経に登場する不動明王がお不動さんとして現世利益につながり、四国遍路が盛んなのである。ここでは空海は空気になっていると著者は言う。なるほどと思う。

 著者もまだつかみきれていないという空海。わかった気がしてはいけないのだろうが、もっと知ることができるのではないかという思いはぐんと増した。最後の言葉「私は誰よりも生きた空海その人に会ってみたい」という気持ちを共有する。
    −−「今週の本棚 中村桂子・評 『空海』=高村薫・著」、『毎日新聞』2015年11月29日(日)付。

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