覚え書:「今週の本棚 磯田道史・評 『大河ドラマと日本人』=星亮一、一坂太郎・著」、『毎日新聞』2015年11月29日(日)付。

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今週の本棚
磯田道史・評 『大河ドラマと日本人』=星亮一、一坂太郎・著
毎日新聞2015年11月29日

 (イースト・プレス・1620円)

成功なるか ドラマ史転換の大実験

 NHKの大河ドラマのほうが、学校の歴史教科書よりも、日本人の歴史観を形成するうえでの影響力が強いかもしれないが、近年、大河ドラマの視聴率は低調で、朝の連続テレビ小説の半分程度。朝ドラの半分しかみられない大河に高額の製作費をかけてよいのか。大河ドラマは役割を終えたと、巷(ちまた)では廃止論まで出ている。しかし、これとは裏腹に大河ドラマの誘致は過熱する一方。NHK会長室には国会議員陳情団の列。それもそのはず、大河ドラマの舞台になった都道府県は観光客がその年は一割以上増え、NHKの子会社と作る大河ドラマ館には年間六十万人程度の来客が見込め、数百億円の経済効果が見込めるからである。

 本書は、そのような大河ドラマの歴史と社会的影響を、歴史作家と歴史研究家が論じた本である。大河ドラマは当初から「大河」とよばれていたわけではない。メディア史の李受美の研究によれば、はじめは「連続時代劇」とか「大型時代劇」「大型歴史ドラマ」とよばれていた。「草創期は何事も、面白い」と本書がいうように、このドラマ枠の誕生は、ドラマチックであった。当時、NHKの芸能局長であった長沢泰治という男は人物であった。そのころの日本人は毎月一回以上映画館に足を運んでいた。年に一回も行かない現在に比べれば隔世の感である。長沢は「映画もやれないような大型ドラマをやれ」「日曜夜に日本中の視聴者を全てNHKに向けさせるような<日本一のドラマ>を作る」と指示した。そのころテレビは電気紙芝居とよばれ、映画界からは馬鹿(ばか)にされていたが、テレビの将来性を、長谷川一夫佐田啓二といった映画俳優たちは理解して、出演を承諾した。映画会社も最後には撮影所を貸すなど協力した。

 有料の映画館でしか見られない大物俳優がお茶の間でタダで見られるのだから視聴するのは当たり前である。見なければテレビ代が損というもの。大河ドラマは大当たりした。それで大河は高視聴率で当然となった。しかし、本書は大河ドラマの過去の失敗例も分析している。「竜馬がゆく」の如(ごと)く脚本に難がある場合。また長州・土佐など新政府側の人物を主人公にした男の幕末史はコケやすいという。たしかに首都東京は関東・東北出身者が多い。旧幕府や井伊直弼新選組会津藩のほうに共感的なのだ。メディアもここに集中しているから東北日本史観のドラマのほうがうけやすい。ジェームス三木の脚本がよく東北の戦国を描いた「独眼竜政宗」はうけたが、長州幕末ドラマの「花神」「花燃ゆ」はさほどでもない。

 一方、大河が成功するためには、新機軸への挑戦が必要らしい。長沢泰治は「太閤記」を作らせるとき、部下の吉田直哉に「今度は当たらなくていい。変化球でよろしい」といったという。しかし結果は成功。吉田は、「太閤記」の冒頭シーンに、疾走する新幹線を入れ、若手の緒形拳、大学生の石坂浩二を抜擢(ばってき)する演出で、大当たりをとった。

 来年、再来年と大河は大きく変わる。パロディとユーモアの色彩の強い三谷幸喜脚本の「真田丸」。さらに、肖像画もなく無名に近い戦国女性・井伊直虎(なおとら)を主人公にすえた再来年の「おんな城主 直虎」は大河ドラマ史を転換する大実験といっていい。果たしてどうなるか。最後に、今後、どのような大河ドラマの可能性があるかについて、著者の星亮一氏は天草四郎島原の乱後藤新平の二つをあげる。一坂太郎氏は、伊藤博文の他に、注目すべきことに、昭和天皇明治天皇を、という。大河が近代史を正面から描くには皇族ドラマのタブーを破るしかない。最後のこの提言は鋭い。
    −−「今週の本棚 磯田道史・評 『大河ドラマと日本人』=星亮一、一坂太郎・著」、『毎日新聞』2015年11月29日(日)付。

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