覚え書:「読書日記 著者のことば 魚川祐司さん」、『毎日新聞』2015年12月15日(火)付夕刊。
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読書日記
著者のことば 魚川祐司さん
毎日新聞2015年12月15日 東京夕刊
■仏教思想のゼロポイント「悟り」とは何か(新潮社・1728円)
「本来性」と「現実性」
本書は、初の著作。専門的な内容を含む仏教書ながら、刊行8カ月弱で5刷1万6000部と昨今の類書で例のない好調さだ。東京大大学院で博士課程まで学んだ後、ミャンマーで上座部仏教を研究・修行してきた。西洋の学問の枠で論じる学者や、日本の宗派の教学者と違う立場で、わかりやすく深く、仏教を語る。
道徳的で「ありがたい」イメージを持つ人もいる仏教だが、魚川さんに言わせれば「ゴータマ・ブッダ(お釈迦(しゃか)様)の語ったとされる仏教は、修行者に『異性と目も合わせないニートになれ』と求めるものです」。修行者は、いわば愛情や労働を否定して、「悟り」に行き着こうとする。
本書の前半は、仏教の基本的な用語、世界観を平易に解説する。後半は、「悟り」とは何かを論じる。
ブッダは、私たちが認識しているこの世界を、煩悩(いわば欲望)で練り上げられた、苦しみに満ちたものと説いた。修行を経て世界を形作る自身の認識を変え、煩悩を根絶した状態が「悟り」だ。これが、仏教の「本来性」だという。
「本来性」という語に引っ張られてか、本書の主張を「ゴータマ・ブッダの仏教だけが正しく、日本の仏教は誤り」と読む人もいるとか。「それは違う」
「悟り」に達した人は、日常世界の認識から離れたのだから、そのまま何もしなくてもかまわないはず。だが、お釈迦様は、人々に真理を説きだした。「行ったきり」にならず、日常に改めて関係した。この瞬間、仏教は、慈悲心で利他的に世界へ関与する「現実性」を持ったという。
「以後、『本来性』と『現実性』の関係をどうとらえて、どちらにより比重を置くかで多くの仏教が生まれてきました」。「本来性」を一切無視したら、仏教ではない。「現実性」なしでは、仏教は巨大な宗教運動にならなかった。「どの仏教が良い悪いではない」
仏教の「理論と実践」にどっぷりつかりつつ、「あえて仏教徒を自称していません。仏教は『どう生きるかを考える指針でいいじゃないですか』という問題提起のつもりで」。この力の抜け方が、また仏教徒らしいかもしれない。<文と写真・鈴木英生>
−−「読書日記 著者のことば 魚川祐司さん」、『毎日新聞』2015年12月15日(火)付夕刊。
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