覚え書:「書評:幼さという戦略「かわいい」と成熟の物語作法  阿部公彦 著」、『東京新聞』2015年12月6日(日)付。

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幼さという戦略「かわいい」と成熟の物語作法  阿部公彦 著

2015年12月6日
 
◆非力さが読者の心つかむ
[評者]加藤典洋=文芸評論家
 見かけは小さいが、大きな本である。著者は面白い発見をしている。いま、人を引きつけるのは「力」ではなく、「力の足りなさ」なのではないだろうか。人の耳を捉えるのは、むしろ「うまく機能していない」、そういう「声」なのではないか、と。
 そしてそれが「成長(と成熟)」を至上とする時代の趨勢(すうせい)のもと、近年「幼さ」の制覇という様相を呈してきたものの、その背景にはもっと広い、人の世界、言葉の世界の変容があるようだと凡百の「かわいい」論とは一線を画す、明敏な観察を行っている。
 たとえば太宰治の文章の読みやすさを作る「弛緩(しかん)のポーズ」。多和田葉子の文章を読んで寄席の席でのように話者ではなく読者のほうがつい笑う、そのことの凹(くぼ)みの出所。そこでは弱さ、不安、「力のなさ」がそのつど読み手を書き手の上位におく、見えないざぶとんが創出されている。
 著者の注目は、こうしてもう一つの「力の足りなさ」としての「老い」へとめぐる。「力があること」の不能、またその不能のもつ可能性。短歌では、この老獪(ろうかい)な定型という「成人」枠がその内部に新しい「幼さ」の更新の可能性の領域を作り出している、と穂村弘の鋭い同時代短歌評を引いて著者は指摘する。一方、明晰(めいせき)に「成熟と喪失」を論じた江藤淳の批評にマッチョな感じがつきまとうのは、そこに足りないのが「力の足りなさ」というもう一つの別種の力だったからではと述べ、古井由吉の文体の「力の抹殺」の秘密にふれ、また赤瀬川原平の「老人力」の意義を説き明かしている。
 大好きな『富士日記』の武田百合子の文章のどこがなぜ、他と違うのかもはじめて教えられた。大塚英志小島信夫から、ルイス・キャロル、T・S・エリオットまで。一読、引用箇所と、なぜそこかの指摘の的確さは比類がない。中身に盛り沢山(だくさん)の印象があるのは、書き手の力量に比してこの本の当初の狙いが小さすぎたからだろう。
(朝日選書・1512円)
 <あべ・まさひこ> 1966年生まれ。東京大准教授。著書『文学を<凝視する>』。
◆もう1冊 
 江藤淳著『成熟と喪失』(講談社文芸文庫)。戦後日本の小説を題材に、日本型文化の中での成熟と“母”の関係を提示した文芸評論。
    −−「書評:幼さという戦略「かわいい」と成熟の物語作法  阿部公彦 著」、『東京新聞』2015年12月6日(日)付。

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