覚え書:「今週の本棚 池内紀・評 『戦後入門』=加藤典洋・著」、『毎日新聞』2015年12月27日(日)付。

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今週の本棚
池内紀・評 『戦後入門』=加藤典洋・著

毎日新聞2015年12月27日

池内紀(おさむ)評

 (ちくま新書・1512円)

日本の政治状況を問い直し、考え直す

 小さくて大きな本である。新書で六三五ページ。戦後政治をめぐり、とても大切なことを丁寧に述べていくと、おのずとこれだけの厚みになった。「はじめに」に告げてある。「戦争に敗れてから七○年もたって、なお戦後七○年ということが問題になるのは、その『戦後』が終わっていないからです」。テーマがきちんと冒頭に示されている。論説はつねにこのように始めるべきものなのだ。

 「背景をおさらいしてみましょう」

 「何が起こっているのか」

 「理由はいろいろあるでしょう。それについてはこの後、見ます」

 語り口に気をつけよう。思考の糸をつむぎ、つむぎしてつづけていく。読者、とくに「戦後」を体験していない若い読者へのレッスンを兼ねている。とともに著者がつねに自分に言いきかせたことでもあるだろう。だから全五部仕立ての第一部を自著の検証から始めた。1『アメリカの影』再訪、2『敗戦後論』再見。それぞれに「対米従属」、「ねじれ」の章名がついている。このあとくり返し出てくるキーワードであるからだ。従属はいうまでもなく独立の反対語である。「国」をつけると「従属国」になる。しょっぱなに日本という国が正確に位置づけてある。

 「ねじれ」にあてられている「敗戦」は、以後もつねに敗戦として語られ、「終戦」などの言い換えはない。米国との戦に敗れたのは子どもにもわかる事実であって、オトナにわからないはずはないからだ。

 論者にとって、自分の本にもどるのは厄介なことである。イヤでも言い足りなかったり、言わずにすました箇所なりと出くわさなくてはならない。さらに「戦後」をいうためには戦争をいわねばならない。日本の戦争に先立って第一次、第二次にわたる世界の戦争を見ておかなくてはならず、そのためにも第二部の「世界戦争とは何か」が割って入った。

 第三部にいたって、ようやく「戦後」にいたる。それは原子爆弾の投下、ひきつづき無条件降伏により始まった。だから第三部の1の1は「原爆の使用と無条件降伏」、2は原爆を投下した側の問題、3は原爆を投下された側の問題にあてられた。スリリングに読んでいけるところで、これでほぼ当書の半分になる。いかに慎重に、事実をたしかめながら、日本の戦後政治の履歴書を提出しようとしたかがわかるだろう。

 「さて、私は、これは私の本としては異例のことですが、この戦後にまつわる本を現在の日本の政治状況への自分なりの直接的なコミットメント(働きかけ)として書こうとしています」

 二年前の年の瀬、特定秘密保護法案が成立した。それに先立つ「新ガイドライン関連法案」、盗聴法(通信傍受法)、国民総番号制度を受けるものだった。つづいて集団的自衛権行使閣議決定、そして本年の安全保障法案成立。なんと急テンポに政治状況が変化したことだろう。それは私のような政治にうとい人間にも、ひしひしと感じとれる。

 「新ガイドライン」はカタカナを使い、ルールをちょっと変えるような軽いノリで提出された。中身はいたって重いもので、軍事的脅威を受けたときに日本を守るのが「日米安全保障」条約であったはずが、国内とはかかわりなく日本がアメリカの軍事的行動を支援することになった。「対米協調路線の確保」といわれるが、敗戦を終戦と言い換えたのと同じロジックで、対米従属路線を強化したまでである。

 いま、ある世代以上の人は「寛容と忍耐」を覚えている。「私は嘘(うそ)を申しません」を遠い記憶にとどめている。どちらも「所得倍増」をかかげた自民党池田首相の口から出た。一九六〇(昭和三五)年のこと。その年の六月、安保新条約成立と引き換えに岸首相退陣、池田内閣成立。大荒れに荒れた議会の運営にあたって「寛容と忍耐」をモットーとし、選挙公約を述べるに際して「私は嘘を申しません」がコボレ出た。多少とも喜劇性をおびたセリフとともに政治の季節が終わり、経済大国ニッポンが始まった。

 以後、半世紀にわたり、「繁栄と平和」が日本の社会状況を定め、そして真相を見る目をくらましてきた。いまや繁栄はおろか、誰の目にもはっきりと日本は衰退に向かっている。平和の方は債務をもっぱら沖縄におしつけて維持されてきた。その地からの抗議の高まり。領土をめぐる近隣諸国との摩擦。そのなかの日本の政治の目を覆うような劣化ぶり。

 「とりわけ二○一二年一二月以降の自民党政権の徹底した対米従属主義の外装のもとでの復古型国家主義的な政策の追求に、何としてでも歯止めをかけたいと考えています」

 いまこそ根底的に問い直し、考え直してみる。その上の最初の一歩のための提案がなされている。それが取り上げられる可能性はべつにして、堰(せき)を切ったような潮流に対抗するには代案がなくてはならない。ナチス・ドイツにとどまり、歴史の証言役を買って出たエーリヒ・ケストナーが述べている。危険は雪のタマのうちに踏みつぶしておかなくてはならない。ナダレになってからではもう遅いのだ。
    −−「今週の本棚 池内紀・評 『戦後入門』=加藤典洋・著」、『毎日新聞』2015年12月27日(日)付。

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