覚え書:「選べない国で:あきらめない作法 御手洗瑞子さん、渡辺格さん、森公美子さん」、『朝日新聞』2016年01月07日(木)付。

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選べない国で:あきらめない作法 御手洗瑞子さん、渡辺格さん、森公美子さん
2016年01月07日
 
 いつの時代にも、どんな状況でも、出口の見えない袋小路を突破してきた人たちがいる。閉塞(へいそく)感の漂う日本社会で生き抜くヒントを、3人の生き方に学ぶ。

 ■「選ぶ」は受け身、自ら動く 御手洗瑞子さん(気仙沼ニッティング社長)

 もしも後輩が人生相談に来て、「私には選択肢がない」と愚痴をこぼしたとしたら、きっとこう言いますね。そもそも「選ぶ」という受け身の態度が間違いなんじゃないの、って。大人にもなって、いつも誰かがバランスのいい選択肢を都合よく提示してくれることなんて、まず、ないわけですから。

 大学卒業後、私は足腰を鍛えようと外資系の会社で2年半働き、ブータンが産業育成の人材を探していると聞いて手を挙げ、東日本大震災の後は宮城県気仙沼市で手編みニットの会社を立ち上げました。この間、何かを選び取った感覚はありません。考えてもみなかった道なんです。

 世の中は常に動いている。一歩前に進めば風景も変わる。別々の流れに乗った船同士が一瞬、出合う「ご縁」のようなものです。

 先日も気仙沼で若い人が30人ほど集まる席があり、見渡すと、地元組とIターン組とが半々でした。震災後、この街なら暮らしが立てられると思った若い人たちが結構、移って来ているんです。起業する人、それも社会的起業をする人も周りに増えている。世の中を変えたい、この社会問題を何とか解決したい、というのが動機です。自分のため、が出発点ではない。これはすごいことです。

 最近の若者は「ハングリー精神がない」と批判されがちですが、それは違います。失われた10年、20年という言い方もありますが、むしろ立ち止まって、さて、どっちに進もうかと考える余裕を持てる時代になった。幸せに生きていくにはどうしたらいいか、フラットに考えることができるんです。

 ブータン時代、上司に言われてハッとした言葉があります。「自分の時間の使い方をちゃんと考えたほうがいい。時間の集積が君の人生になるんだから」って。

 考えたら、人生の多くを占めるのは仕事です。できればそれ自体が楽しい、いい時間であってほしい。毎日がつまらないと言って愚痴るより、何とか楽しい時間にしようと自分で考え、変えていくしかない。それはヨイショと何かを背負い、能動的に取り組むことだと思います。

 私が東京に残ったまま、「別の形の復興支援が必要だよね」とか言っていても、何も変わらなかったでしょう。でも、ここで実際に会社を起こしたことで、小さいながらも新しい産業が生まれた。当事者としてモノも言える。変化の波は人から人へ、少しずつ広がっています。

 自らの足元で具体的な行動を起こす。選択肢が示されるのを受け身で待つのではなく自ら切り開く。そうすれば楽しく生き、誰かの役に立つこともできます。人生の責任者は自分自身なんですから。

 (聞き手・萩一晶)

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 みたらいたまこ 1985年生まれ。2008年にマッキンゼーに入社。10年からブータンで首相フェローを1年務め、13年から現職。

 ■「腐らない経済」の先に 渡辺格さん(パン屋「タルマーリー」店主)

 31歳まで勤めていた有機野菜販売会社では「産地偽装」が当たり前でした。利益至上主義から離れ、手に職をつけようと飛び込んだパン工房では連日、15時間働きました。都会では、給料と引き換えに自分の時間を売り渡し、お金に縛られたまま一生を終えるのか。資本主義というシステムの袋小路で、ほかの選択肢も見つからないままもがいていました。

 抜け出す手がかりを教えてくれたのが、パンの発酵に必要な菌でした。

 人工的に培養されたイースト菌は、本来なら腐って土にかえるものでも無理やり食べものにしてしまいます。添加物や農薬も使い、腐らない食べものが大量に生産されることで値段が下がり、作り手の技術や喜びも奪われる。効率化が負のサイクルを生んでしまうのです。

 腐らないと言えば、お金もそうです。株取引や投資などで、実体がないのに殖えていく。世の矛盾を生み出しているのは、自然の摂理と逆行する「腐らない経済」なのではないか。そう思うようになったんです。

 銀行から金を借りるのではなく、自然から菌を借り、天然の菌の見えざる手に委ねて生きてみよう。そう決めたのは2008年のこと。「菌本位制」と名づけ、働くことで身も心も豊かになる道を探り始めました。

 使うのは天然の菌だけ。菌は、人間の都合にかまわず腐敗したり、発酵したり。無肥料無農薬で育てた米ならうまく発酵するとわかり、成功するまでに3年かかりました。ただ、手間も暇もかかる分、試行錯誤を重ねて技術を高める自由がありました。

 天然の菌を使った風変わりなパン屋を始めて8年。千葉県いすみ市岡山県真庭市を経て、昨年5月に鳥取県智頭町に移りました。使われなくなった保育園を改修したパン屋兼カフェには、韓国や台湾からもお客さんが来ます。

 地元で自然栽培された麦芽でビールを造り、その過程で出る澱(おり)から取った酵母でパンやピザを作り、地元の野菜を使った料理を出す。窯には山から切り出した薪をくべる。山が汚れれば水も汚れ、パンやビールの味も落ちるため、地域経済を回しながら自然環境も守る。そんな循環を作りつつあります。

 店ではスタッフ4人とアルバイトを雇い、夫婦でフル回転。それでも、冬の1カ月間は店を閉じます。家族と過ごしたり、じっくりモノを考えたり。いい商品を生み出すには休養も必要だからです。

 自分が満たされて働くことと、暮らしている地域が豊かになること。二つが重なり合うところに幸せがある。それを可能にするのは循環。自称「菌遊(きんゆう)系」がたどりついた答えは田舎にありました。

 (聞き手・諸永裕司)

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 わたなべいたる 1971年生まれ。東京都東大和市出身。千葉大卒。著書に「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」。

 ■肩の力を抜いて見渡せば 森公美子さん(歌手)

 「20歳でこれほどスケールの大きい、すばらしい声で歌える子は珍しい。どんどんオーディションを受けなさい」。最初のイタリア留学でオペラの先生から高い評価をいただいたので、音大卒業後にミラノに2度目の留学をしました。プロのオペラ歌手としてミラノ・スカラ座の舞台に立つことが夢でした。

 早朝から深夜まで、歌と語学の勉強に没頭しました。留学費用を援助してくれた両親や二期会の同期生のことを考えると、「みんなが驚くほど上達しなければ、日本には帰れない」と思っていました。

 でもすぐに、自分で決めたはずのノルマをこなすことだけで精いっぱいに。上達している感覚もまったくない。美しいはずのミラノの街が灰色に見えました。

 そんなある日、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」を見に行きました。幕あいで男の子が父親に、病気で死ぬ運命の主人公ミミが歌うアリアを「涙が出るくらいに美しいよ」と振り返っていました。「こんなに小さいのに、オペラの奥義を理解しているんだ」と驚き、すぐに「一生懸命に勉強しているけれど、日本人の私はオペラを理解できるのだろうか」という思いがこみ上げてきました。

 強い空虚感が私を襲いました。悩んだ末、仙台でホテルを経営していた父に電話をしました。「立派なオペラ歌手になれるとは思えない」

 すると、父は「オレはそんなに音楽は得意じゃないし、トンビがタカを産むわけないだろ」と大声で笑いながら、「イタリア人になったと思って生活してみろ。帰ってきて、お父さんにスパゲティの2、3品でもつくってくれたら、それで十分だ」。

 肩の力が抜けました。ノルマをこなす生活と決別し、街に出て酒場のおじさんと冗談を交わしたり、仲良くなった近所のおばさんに料理をごちそうしてもらったり。父との約束を果たすため、料理の研究にも励みました。言葉は見違えるように上達しました。

 ミラノを離れ、旅にも出ました。ロンドンで初めてミュージカル「マイ・フェア・レディー」を見て「心から楽しそうに歌っている。こんな世界もあるのか!」。日本に帰国後、ミュージカルでデビューする契機になったんです。

 一点を見つめ続けて努力を重ねても、どこにも出口がないと感じてしまう時、肩の力を抜いて前後左右を見渡せば、思わぬところで新しい可能性と出会って、居場所が見つかるものです。父の言葉は、そんな人生の真実を気づかせてくれました。

 56歳になりましたが、可能性はまだ200%あると思っています。時間があれば経済の勉強をしてみたい。年齢を重ねても、あきらめなければやりたいことは見つかるはずです。

 (聞き手・古屋聡一)

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 もりくみこ 1959年生まれ。5〜6月、東京・帝国劇場でミュージカル「天使にラブ・ソングを〜シスター・アクト〜」に主演。
    −−「選べない国で:あきらめない作法 御手洗瑞子さん、渡辺格さん、森公美子さん」、『朝日新聞』2016年01月07日(木)付。

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