覚え書:「今週の本棚 井波律子・評 『いちまき ある家老の娘の物語』=中野翠・著」、『毎日新聞』2015年12月27日(日)付。

Resize0383

        • -

今週の本棚
井波律子・評 『いちまき ある家老の娘の物語』=中野翠・著

毎日新聞2015年12月27日

(新潮社・1512円)

家族の軌跡たどる臨場感

 「いちまき」とは血族の一団、一族の意だという。これは、映画や書物をテーマにした、軽やかな語り口の文章で知られる著者が、彼女の「いちまき」を周到に追跡し、みずからのルーツに光を当てた作品である。そもそも著者のいちまき探求の旅は、今を去ること二十二年、他界した父の遺品のなかに、安政六(一八五九)年に生まれ昭和十七(一九四二)年に没した、父方の曾祖母みわが著した自叙伝を発見したことに始まる。

 『大夢(たいむ) 中野みわ自叙伝』と題された、筆書きの自叙伝によれば、みわの実家は代々、関宿(せきやど)藩(千葉県)の江戸家老をつとめたが、幕末、藩は勤皇派と佐幕派に分裂し、佐幕派のリーダーだったみわの父は同志とともに脱走、九歳くらいのみわも母や兄妹とともに転々と逃避行を重ねる羽目になる。父は、彰義隊と官軍の戦いの渦中をくぐりぬけ、辛酸を経て静岡・沼津に移動、やがて沼津兵学校附属小学校教員となる。かくて、生活も落ち着いたところで、ようやく離散していた家族を呼び寄せ、いっしょに暮らすことができるようになった。この間約五年、みわも知り合いに身を寄せるなど、苦労を重ねたのだった。

 著者は、幕末の激動期にこうして変転を重ねた曾祖母みわ、ひいてはみわの父(著者の高祖父)をはじめとする家族の軌跡を、古地図や種々の資料を丹念に調べると同時に、彼らと関係の深い東京の町、関宿、沼津等々の土地をめぐりながら、もつれた糸をときほぐすように明らかにしてゆく。このプロセスはまことにスリリングであり、失われた過去を甦(よみがえ)らせ、著者の言葉を借りれば、「血がザワッ」とするような臨場感がある。

 幕末、運命の激変に見舞われた人々は無数にあったに相違ないが、固有の家族史に焦点を絞り、「時間旅行」を試みた本書は、その時その場で生きた人々の息づかいを感じながら、激動の時代の断面をありありと浮き彫りにし、読者にざわめく時代のただならぬ雰囲気を実感させる。また、みずからのルーツを探求するうち、著者は直系の一族につながる人々やゆかりのある人々を発見し、また、その子孫との出会いを果たす。

 たとえば、以前から好きだった洋画家の浅井忠が高祖父(みわの父)の母の兄の孫であることを発見したり、「狐」のペンネームで知られた鋭敏な書評家とその兄から、彼らが、みわの妹の曾孫であることを知らされ、不思議な縁に「何ともいえない奇妙な気分」になったりする。縦の関係である直系の一族と、横に広がる遠縁の人々。人はこうして縦と横が交錯するところに存在し、脈々とつながり広がる生命の流れのただなかにあるのだと、縁(えにし)の糸に操られ、時間の彼方(かなた)へ旅する著者の姿に、人ごとでなく驚嘆させられる。

 総じて、著者は血縁の人々について正面切って語ることに、終始一貫、一種の気恥ずかしさを抱いており、その感覚が対象に対する微妙な距離感となってあらわれ、この作品に身内ならぬ読者をも引き込む魅力を与えている。ちなみに、全五章からなる本書には、章ごとに「後日談」が付されており、祖先のルーツをたどる著者自身の姿を描いたコメントが記されている。これによって過去と現在が重層化され、いっそう興味深い。

 それにしても、ここに掲載されている曾祖母みわの古写真は、その面差(おもざ)しが著者とよく似ており、血は水よりも濃しと、命の流れの不思議さに、改めて感慨を覚えるばかり。
    −−「今週の本棚 井波律子・評 『いちまき ある家老の娘の物語』=中野翠・著」、『毎日新聞』2015年12月27日(日)付。

        • -





今週の本棚:井波律子・評 『いちまき−ある家老の娘の物語』=中野翠・著 - 毎日新聞








Resize4989


いちまき: ある家老の娘の物語
中野 翠
新潮社
売り上げランキング: 486