覚え書:「考2016:3:社会と多様性 翻訳家・池田香代子さん 一色に染める空気、異論のノイズ必要」、『朝日新聞』2016年01月07日(木)付。

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考2016:3:社会と多様性 翻訳家・池田香代子さん 一色に染める空気、異論のノイズ必要
2016年01月07日

 ■翻訳家・池田香代子(いけだかよこ)さん

 ——世界中でテロが相次いでいます。池田さんが社会に向け積極的に発言するきっかけも、2001年の米同時多発テロでした。

 「当時と似ているのは、『誰か』ではなくて『象徴』が標的になったことです。9・11は世界経済、マネー。昨年のパリは、週末のスポーツ、お酒、友達とのおしゃべり、音楽といった、フランスが苦しみながら取り組んできた世俗主義、多文化共生が狙われました。昔のテロは、自分が死んでも、この人を殺せば社会をひっくり返せる、というものだったけれど、今は象徴が狙われるんです」

 池田さんは、ドイツ文学のみずみずしい訳文で知られる。私にとっては、西洋哲学を易しく語った「ソフィーの世界」に夢中にさせてくれた人だ。インターネットでつづられた「民話」をまとめた「世界がもし100人の村だったら」では、世界に戦争や暴力におびえる子どもが少なくないと教えてくれた。インタビューを申し込んだのは、テロが頻発する世界で、日本にいる私たちはどう行動していけばいいか、と聞こうと思ったからだ。

 ——テロとの戦い、となると社会が結束します。テロは根絶したい。でも対テロ戦争が新たな憎悪を生むと考えると、よい解決策が浮かびません。

 「パリにいる友達に聞いたら、デモで掲げられたスローガンの中に『あなたたちの戦争、私たちの死体』というのがあった。『あなたたち』はIS(過激派集団『イスラム国』)やテロリストだけでなく、『報復だ』と拳を上げる人も含んでいるんですね。そして、『私たち』は、パリ市民だけでなく、様々なテロや政府軍の空爆なんかで倒れている各国の市民たちも含まれる。私はその話にぐっときました」

 「テロとの戦いは、テロリストではなくてテロリズムとの戦い。それには、かったるいんですが、武力ではなく人間の安全保障に力を入れるしかない。日本が頑張ってきた、武器を持たずにできる貢献です。私は自衛隊は認める立場ですが、武装して海外に出てはいけないと思う。病巣を摘出する外科手術が必要な病気もありますが、長期にわたる体質改善や薬物投与でなければ治らない病気もある。テロリズムは圧倒的に後者だからです」

 テロに直面した欧州では、難民受け入れ拒否の動きが広がる。米大統領選では「イスラム教徒入国禁止」を訴える候補が喝采を浴びる。テロの脅威にさらされ、多様性の維持が危機に直面しているようだ。

 ——「テロとの戦争」に対しては、異論を挟みにくい空気があります。

 「テロの脅威は、同調圧力を強めるための非常に有効なツールですよね。昨年、欧州に大勢の難民が来ましたが、その0・01%でも意図を持った人がいたらテロを起こせる。でも、残りの人たちは、そのテロリズムから逃げてきたんです。難民を拒否する理由も分かる。むしろ、受け入れたドイツはすごい。共感をもって踏みとどまることが大切なんじゃないかな」

 「社会を一色にしないためにはノイズが必要です。いわゆる左派にも同調圧力はある。例えば、原発の議論で、放射線はどんな少量でも許してはならない、というような論調ですが、それに私は賛成しません。反原発の集会でも私は『何とでも批判してくれ』と言いながら、この持論を言うことにしています。あと3年で70歳です。年を取っていいところは、怖いものなしになる。どこにも所属していませんしね。小さいけれど、社会全体の中での役割があると思っています」

 ——異なる意見を持った人同士の議論が成立しにくくなったと感じませんか。

 「『100人の村』では、Weを『わたし・たち』と表現しました。そこで、読者につまずいてほしくて。我々、という集団は私と私が集まったもの。独立した個人が、安心して発言できるのが成熟社会。私たちは、まだ学習途上なのかもしれません」

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 1948年生まれ。翻訳家。ゴルデル「ソフィーの世界」、フランクル「夜と霧」、ケストナー飛ぶ教室」など訳書多数。

 ■取材後記

 「自己規制していませんか」。ふと池田さんに問われ、恥じ入るばかりだった。取材中、表情も言葉遣いもずっと穏やかだったが、自分の責任で発言する覚悟が端々に感じられた。テロリズムを克服するためにも、社会に多様な言論がないといけない。池田さんは、昨年の安全保障関連法成立後、国会前で「私たちは勇気を持ちましょう。良くないことは良くないと言いましょう」と演説していた。新聞記者になって20年、私にその勇気は備わったか。勉強も足りないし、批判も怖い。だが、他者の発言に耳を澄ましながら、私も「多様さ」に貢献できれば、と思った。(本田修一)
    −−「考2016:3:社会と多様性 翻訳家・池田香代子さん 一色に染める空気、異論のノイズ必要」、『朝日新聞』2016年01月07日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12147331.html





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