日記:立ち止まって考えること

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 一方、戦争における指導層の責任は単純化される。失敗がめにみえるものであっても、思いのほか責任を問われず、むしろ合理化される。その一方で、指導層が要求する苦痛、欠乏、不平等その他は戦時下の民衆が受容し忍耐すべきものとしての倫理性を帯びてくる。それは災害時の行動倫理に似ていて、たしかに心に訴えるものがある。前線の兵士はもちろん、それは災害時の行動倫理に似ていて、たしかに心に訴えるものがある。前線の兵士はもちろん、極端には戦死者を引き合いに出して、震災の時にも見られれた「生存者罪悪感」という正常心理に訴え、戦争遂行の不首尾はみずからの努力が足りないゆえだと各人に責任を感じるようにさせる。
    −−中井久夫戦争と平和 ある観察」、中井久夫戦争と平和 ある観察』人文書院、2015年、9−10頁。

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戦中派の中井久夫さんの「戦争と平和」を観察するアンソロジーを読み終えた。10年以上前の論集の再編集ですが、非常にアクチュアルなものがあり、戦争はありませんが、いまの時代こそまさに「戦時下」ではないのかと瞠目させられてしまう。

指導者の責任は問われない。小泉政権以来の「構造改革」路線は「痛みを伴う」をキーワードにして、改革とは程遠い、ペンペン草もはえない荒野をつくりだしてしまう暴力でしたが、その「痛みを伴う」は現在なお進行形で推移し、常に一種の「倫理性」を帯びたものとして要求されてしまう。つまり、自己責任、努力が足りない、という故人への極端な還元主義で、社会の問題を、そして責任をスルーするという手法。

本当に、今、何が必要で、何を考えなけれあならないのか、「進める」のではなく「立ち止まる」ことが大切なのではないか。















[書評]『戦争と平和 ある観察』 - 大槻慎二|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト



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戦争と平和 ある観察
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中井 久夫
人文書院
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