覚え書:「今週の本棚・本と人『あこがれ』 著者・川上未映子さん」、『毎日新聞』2016年1月10日(日)付。

Resize0514

        • -

今週の本棚・本と人
『あこがれ』 著者・川上未映子さん

毎日新聞2016年1月10日 東京朝刊

 (新潮社・1620円)

はかないイノセンスのぬくもり 川上未映子(かわかみ・みえこ)さん

 「全部が青信号の道を車で走る感じ。これまでの経験や技術を信頼して、何の迷いもなく書けました」

 4年ぶりの長編小説は、小学生の少年少女二人のはかないイノセンスを封じ込めた、希望の物語になった。手応えが伝わる快作には包み込むようなぬくもりが満ちている。詩的な言葉の切っ先で、小説世界を構築してきたこれまでのスタイルが変質している。

 「麦くん」と「ヘガティー」は、仲のいい同級生の男の子と女の子。共に幼いとき片方の親を亡くしている。第一部は小学4年生の麦くんの視点、二部は小学6年生のヘガティーの視点で二人の成長の時間を描く。サンドイッチ店の気になる奇妙な女性、会ったことのない異母きょうだい。<わたしはね、『できるだけ今度っていうのがない世界の住人』、になったんだよ。いましかないんだ、ってね>。大人や社会の入り口に立っていることを自覚しながら、小さな二人は語り合い、励まし合って大きな一歩を進めていく。

 「この年代は性差も能力差もぎりぎりで計られない、ただの人間であることが許される唯一の時間。最後にこういう時があったと、祈りを閉じ込めるような思いがありました」

 亡き親への思い、夕焼けの前で肩を組む二人の小学生の姿が、読者それぞれの過ごしてきた時間に乱反射する。大人の著者が書く、小学生の物語だと分かっているからこその広がりがある。「彼らの視点を借りると、世界の見え方がちょっと変わる。本当の12歳である必要はないんです」

 背景には、現実世界への強い危機意識があった。ちょうど執筆中、主人公と同じ世代の男女二人が犠牲になる大阪・寝屋川の遺体遺棄事件が起こった。「世界の悪意や偶発性が恐ろしくなって、耐えられなくなった。ある日誰かが突然いなくなる。そうではない物語がなければ生きていけない。私自身が物語の力を必要としていた気がします」

 3年前、長男が生まれたことが大きいと明かす。大事な存在を失う偶発性、そこには必ず当事者の誰かが存在することへの恐れのなかで、「みんなが笑って、こんなハッピーエンドはなかった」と言える物語は生まれた。<文・棚部秀行 写真・森園道子>
    −−「今週の本棚・本と人『あこがれ』 著者・川上未映子さん」、『毎日新聞』2016年1月10日(日)付。

        • -





今週の本棚・本と人:『あこがれ』 著者・川上未映子さん - 毎日新聞








Resize5084



あこがれ
あこがれ
posted with amazlet at 16.01.31
川上 未映子
新潮社
売り上げランキング: 29,335