覚え書:「インタビュー:中国、「自由」への道は 米コロンビア大学客員教授・張博樹さん」、『朝日新聞』2016年01月15日(金)付。

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インタビュー:中国、「自由」への道は 米コロンビア大学客員教授・張博樹さん
2016年01月15日


「中国の民主化の行方は全世界に影響する。日本の皆さんも関心を深め、中国の市民と交流してほしい」=東京都千代田区、山本和生撮影
写真・図版
 中国の政治思潮は意外に多様だ。社会主義は過激派から穏健派まで幅広い。現代版の儒教思想を唱える学者もいる。それらの中で、体制への批判力を最もよく備えているのが、個人の自由を重んじ権力の制限をはかる自由主義の思想だろう。代表的な論客で渡米を余儀なくされた張博樹(チャンポーシュー)さんに、政権の見方と改革への展望を聞いた。

 ――中国で習近平(シーチンピン)政権が発足して3年になります。当初は改革が進むとの期待感があったと聞いています。

 「多くの知識人がそう期待していました。でも根拠は単純だったのです。父親の習仲勲共産党内の開明派だったので、その影響で習近平氏も開放路線を採るだろうと。若いころ農村で過ごしたから民衆の苦労を知っていて、民主的な考え方を受け入れやすいだろうと。残念ながらすべて当てが外れました。それどころか自由派知識人への弾圧は前政権より更に厳しくなったのです」

 ――これまでの政権とは違うのでしょうか。

 「ちょっと振り返りましょう。毛沢東による全体主義の後、トウ小平時代は、共産党支配を守りつつ経済上の新路線を探ろうとした権威主義でした。その体制が天安門事件を経て江沢民氏、胡錦濤氏へと引き継がれ、市場経済化が進められ、世界貿易機関WTO)加盟に至ります。中国は世界秩序に融合し、受益者にもなりました」

 「さてその間、1995年ごろから国内に市民運動が発展し始めました。知識人は政治改革について発言しました。政権の締め付けは相対的に緩かった」

 「ところがこうした声が高まってくると、政権側は脅威に感じて弾圧に転じます。それが2008年の『08憲章』への対応であり、09年に起きた許志永氏らの『公盟事件』です。08憲章は私自身も署名しました。胡政権後期から弾圧は強まります」

 ――その流れを受けて習氏が登場するわけですか。

 「彼が最高指導者となった12年の第18回党大会以降は、新段階に入ったと見ます。市場化の結果、深刻な腐敗、汚職が党幹部層に広がりました。そこで、党支配を絶対に動揺させてはならないとの危機感から非常に厳しく取り締まったのです。この党内監視ぶりは毛沢東時代に戻ったとも言えます。同時に、党外では知識人弾圧を強めました。大学で『普遍的価値』を語ってはいけない、といった通達が13年に出たのは知られていますね。一方で、民生の向上を意識しているのも特徴です。20年までに7千万の貧困人口をなくすと宣言しました。私はこの体制を新全体主義(中国語原文は「新極権主義」)と呼びます」

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 ――対外政策も以前とかなり違うのでしょうか。

 「彼らの外交戦略は、米国との間で世界の主導権を争う構えです。この3年、習氏は頻繁に外遊しました。ロシアと提携し、アフリカだけでなく、南米、欧州でも影響力を発揮し、国際社会に新しい提案を出すようになっています。第三世界の代表という毛沢東の精神を引き継いでいますが、そこにとどまらず、新しい大国として世界秩序の不合理を改めようとの野心を感じます。いわば『赤い帝国』の台頭です。さらに研究を深めなくてはなりませんが、我々が注意すべきは、そもそも中国が普通の国民国家ではないという点です」

 ――どういう意味ですか。

 「『党国』、つまり共産党が権力を独占した国家体制なのです。党が国家を指導することは憲法に規定されています。軍も、国軍ではなくて共産党の軍のままです。ところが外交の場面では、通常の国民国家として振る舞います」

 ――ちょっとわかりにくいんですが。

 「彼らが守ると称する核心的利益とは、必ずしも国民国家の利益ではありません。ナショナリズムを装っていますが、『党国』体制を維持するための利益かもしれないのです。なぜ米国と主導権を争うのか。それは、民主主義を唱導する米国が自らを転覆しかねない力量を持つと恐れているからです。でも転覆するって、何を?」

 ――日本が転覆されるとか、英国が転覆される、などとは考えられません。

 「そうでしょう。転覆の可能性があるのは、専制、独裁だからです。これは人類として守っていくべき政治の形ではない。民主化することが一国民国家としてあるべき方向だと、私は思います。総じて言えば、習政権の登場は革命世代の二世による『党国の中興』にすぎないのです」

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 ――この厳しい状況下で、あなたは自由主義を掲げています。

 「自由主義者の動機は、中国でも様々でしょう。50年代以降の共産党による弾圧などがきっかけになった人も多くいると思います。私は一般庶民の家庭に生まれ、個人として共産党への恨みはありません。だがこのままでは中国の発展に不利であり、自由主義的な改革が必要だと考えました。核心は個人の権利保護であり、権力の監督、制限です。独立した司法、結社の自由、メディアの自由のもとでの公正な選挙で政治を決める民主体制が必要です」

 ――問題は、そのための道筋をどうするか、だと思います。

 「まさに我々を困惑させる点です。実は憲政改革の実行可能性を研究し、07年にネット上で発表、後に香港で出版しました。内容は漸進主義のシナリオです。改革を求める民間の声が高まり、政権側が応え、平和的、理性的に改革を進めるものです。当時は胡政権で、体制内にも開明派がいましたし、温家宝首相は、普遍的価値について何度も語っていたのです。このような指導者が18回党大会でも選ばれていれば、状況はかなり違っていたと思うんですが」

 ――台湾の民主化過程は参考になるでしょうか。

 「もともと権威主義体制で自由がなかったのですが、それでも1950年から地方選挙があり、政権を批判するメディアがあり、少しずつ民間で変革の声が高まりました。野党が結成されたとき、当時の蒋経国総統は黙認したのです。やはり体制外の反対派の動きに対して、開明的指導者が応じたわけです。この間に30年以上が費やされています」

 ――どうも見通しが開けません。あなた自身も米国へ身を寄せざるを得なくなったわけですし。

 「独裁体制のもとでは、自由に意見表明するか、自己規制するか、という問題を自ら抱え込みます。自己規制すれば表現の空間が多少できます。でも今やそれも狭まってきました。私自身は20年前に自己規制をやめました。そうしたら研究職を解雇され、警察に監視され、行動の自由を制限されるようになりました。だから今の結果は必然的です。それでもネット時代ですから、中国国内の読者に私の主張は伝わるはずです」

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 ――当面、中国に変化の兆しはなさそうでしょうか。

 「経済発展とともに民主化が進むという米国などの楽観論は崩れ去りました。でも、ごく普通の中国人の権利意識は、昔と随分違ったものに変化しているんです。これは民主化の潜在力であり、社会に埋め込まれた自由主義の『初期設定値』であると私は考えています。例えば各地で起きている市民の権利擁護運動などに表れています」

 ――それが大きな、まとまった力となって出てくるでしょうか。

 「政権が統制を緩めればありえますが、現時点では考えにくい。それでも、何らかの危機が発生すれば、きっかけになるのかもしれません。たとえば大恐慌のような深刻な経済危機、政権指導層の内紛、外交政策の失敗といったことです。こうしたことが起きないとすれば、まだ長い時間が必要なんでしょう」

    *

 チャンポーシュー 1955年北京生まれ。中国社会科学院哲学研究所を経て2013年から現職。邦訳論文が昨年出版の「現代中国のリベラリズム思潮」に収められた。

 ■取材を終えて

 中国の自由主義者はかつて毛沢東に共鳴、合流したものの、50年代に排除された。改革開放後の80年代によみがえったが89年の天安門事件でまた挫折した。その後の経緯はインタビューの通り。どうも旗色が悪い。それでも連綿と続いている。張さんの説を私なりにおしひろげれば、自由主義が力を得るには体制側と異なるナショナリズムの論理を説得的に示す必要がある、ということかと思われる。台湾の民主化が台湾人意識の高まりと不可分だったように。

 (論説委員村上太輝夫)

 ◆キーワード

 <08憲章> 人権を掲げ中国の民主化を求める知識人ら303人が08年12月、連名でネット上に発表した文章。中心人物の劉暁波氏が拘束され、国家政権転覆扇動罪で服役中。劉氏は10年にノーベル平和賞受賞。

 <公盟事件> 法学者の許志永氏らが人権擁護運動のため組織した「公盟」が09年7月、脱税名目で摘発された。許氏はその後も「新公民運動」を展開したが14年に公共秩序騒乱罪で懲役刑に。
    −−「インタビュー:中国、「自由」への道は 米コロンビア大学客員教授・張博樹さん」、『朝日新聞』2016年01月15日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12159511.html





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