覚え書:「耕論『介護離職ゼロ』への道 和気美枝さん、西久保浩二さん」、『朝日新聞』2016年1月16日(土)付。

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耕論「介護離職ゼロ」への道 和気美枝さん、西久保浩二さん
2016年1月16日
 大切な人の介護が必要になる局面は、いつ、だれにでもありうる。そのために心ならずも仕事を休んだり、職場を去ったりする人がたえないのが現実だ。介護離職をなくすと政府は重点課題に掲げているが、必要なことは何か。

 ■経験者が評価される制度を 和気美枝さん(一般社団法人介護離職防止対策促進機構代表理事

 75歳の母を自宅で介護しながらフルタイムで働いています。母は12年前うつ病になり、入退院を繰り返しました。5年前から認知症も加わり、訪問看護やデイサービスの助けあっての毎日です。

 母が発症した頃、父はすでに亡く姉は嫁いでいて、私しかいません。身内が大病した経験もなく、社会保険と民間の保険の違いも分からないほど無知でした。何が分からないのか分からない、パニック状態です。追い詰められ、当時の記憶は一部途切れています。

 15年間続けたマンション開発の仕事を6年前に辞めました。仕事が体力的にきつくなってきたし、全てが中途半端で、精神が安定しない。介護だけが退職の理由だったわけではありません。

 その後、介護中の娘さんが集う「娘サロン」に出会ったのが転機になりました。思いの丈を吐き出し、同じ思いをしている人を初めて近くで見て、癒やされたし、自分がしてきたことを認めてもらえたと思えた。介護者支援のNPOの主催でしたが、こんなにいい会がなぜ知られてないのかと腹立たしく思ったほどです。

 ■初心者の相談役

 経験から、介護中の離職はお勧めしません。仕事との両立なんてできないと思いがちですが、「介護をやめる」という選択肢があることを覚えておいてほしい。施設に入れることを後ろめたく思う必要はありません。要介護者と24時間向き合う状態は避けるべきです。仕事は収入をもたらしますし、最高の息抜きにもなります。

 介護休業の分割取得など既存制度の改良は必要ですが、離職防止に新規の施策は不要でしょう。企業が用意すべきことも多くはありません。まずは年1回でいいから「介護が始まったらどうするか」の研修を定期的に開く。また、人事担当者が介護中の人や介護経験者のネットワークを作っておく。実際にはこれすらできていない企業が多く、歯がゆいばかりです。

 明治安田生命の調査では、介護休業などで職場を離れた人の半数以上が、介護開始後1年以内に辞めています。介護態勢を作り上げる初動の時期に、介護者を途方に暮れさせないことが必要です。その助けになるのが、介護中の人や介護経験者が持っている情報であり、介護の先輩が初心者の話し相手や相談役になることでしょう。

 「地域包括支援センターを訪れる際、要介護者の主治医の名前を調べておき、保険証を持参しよう」といった細やかな情報は、経験者だからこそ教えられます。

 企業は介護者の経験値を価値とみなし、制度化してほしい。仕事と介護の両立の様子を毎月リポートで提出させたり、介護初心者の面接役を頼んだりして、報酬の対象にするとか。そういう制度があれば本人も介護中であると周囲に話しやすくなるし、企業の経験値も上がります。勤務先の人事担当に頼まれ初心者の相談に乗っている仲間は、「自分の経験が役立つなんて」と生き生きしています。

 ■仕事を共有する

 もう一つ大事なのは「仕事の見える化」です。「この人脈やノウハウこそ自分の強み」などと仕事を抱え込みがちですが、いざという時に代替できません。仕事の流れや取引先との関係などは共有化しておくべきです。

 いまは介護離職をなくすことを職業にしている私も、母を殺す寸前までいったことがあります。

 昨年6月、母が食事を拒んだとき、反射的に左手で頭を抱え、右手でキウイを口の中に押し込んでいました。「いけない。死んでしまう」と瞬時に思い、自室に駆け込んで号泣しました。母の認知症が進むのが怖く、心が極度に不安定になっていたのだと思います。

 年月をかけてケアスタッフと成長し、介護している自分をほめたくなることもあります。母の失敗を許せるようになり、他人に優しくなれました。介護は人を大人にしてくれます。この年で自分の成長を感じられるのは幸せだと思います。(聞き手・畑川剛毅)

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 わきみえ 71年、埼玉県生まれ。マンション開発会社の勤務を経て、14年、「ノーモア介護離職」を掲げワーク&ケアバランス研究所を主宰。1月から現職。

 

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 ■公表できる職場づくり、急げ 西久保浩二さん(山梨大学教授)

 勤勉で優秀な人材が親の介護によって消耗したり、離職したりしてしまう。そのリスクの深刻さを企業や経営層がまだ的確に把握してはいません。その意味でも、「介護離職ゼロ」という目標を政権が掲げたことは評価できます。

 介護離職者の多くはこれまで女性でしたが、直近の動きをみると男性に広がる傾向が出ています。夫婦共にフルタイムで働く世帯や男性単身世帯の増加が背景とみられますが、手を打たなければ介護離職がさらに増大する局面に来ていたのかもしれません。

 ■育児とは異なる

 離職を食い止める介護支援について、多くの企業では現在は「育児支援」を先行例として参考にしているように見受けられ、追加的な休業の支援や短時間勤務などから始めようとしています。ただ、出産・育児と老親介護とでは、仕事との両立を難しくするリスクの特性は大きく異なります。

 介護の終わりは容易に見通せないし、遠距離介護もある。要介護者の状態が悪化すれば介護者の負担は時間が経つごとに増します。おまけに一度に複数の要介護者が生まれることもあります。

 また、大半の介護者は会社でも責任ある立場が多い中高年層ですから、「個人的な事情で仕事の手を抜くことはできない」「成果主義の評価が浸透する中でマイナス評価をつけられたくない」という思いが、自分自身の状況を勤務先に伝えるカミングアウト(告知)を往々にしてためらわせます。

 言わないでいるうちに親の状態が悪化し、介護と仕事との両立がとうとう不可能になって離職を決断する――。これが介護離職の典型例ですが、そんな事態になる前にどう支援するかが問われます。

 ■両立は共通目標

 まずは、とにかくカミングアウトしやすい職場づくりを急ぐことでしょう。そのためには円滑な意思疎通は不可欠で、個人的な事情まで含めて、「話せる場」「話しやすい雰囲気」を職場に整えるだけで事態は随分改善されます。

 ただ、カミングアウト問題の本質的な解決は、親の介護への対処が労使のごく当たり前の共通課題として位置づけられることです。

 カミングアウトの躊躇(ちゅうちょ)には、日本人特有の、「周りに迷惑をかけたくない」という意識も影響しています。その中で、告知の決断を従業員の自発的な行動として求めることは酷な話です。「従業員の心身の健康」という貴重な経営資源を管理する現在の健康診断・予防システムと同様に、介護問題が従業員に起こったらすぐに対応する体制づくりを、企業はめざしていくべきだと思います。

 一例を示せば、介護する立場になった従業員が活用できる公的サービスや、「介護保険申請手続き代行」など福利厚生面で会社が契約する外部サービスを体系的に整えて、その一覧を従業員に示すことです。

 世界に例をみない速度で高齢化が進む日本では、最近入社した新入社員が中高年に達するころに介護リスクは最も深刻になるとみられます。「介護離職ゼロ」という目標は、「介護と仕事とは当然両立できる」という企業や社会の将来像を示す、新たな宣言と捉えるべきでしょう。

 その将来像をどう実現するかという観点から、介護と仕事との両立を難しくしている問題を官民が知恵を出し合ってひとつずつ解決していく必要があります。例えばフレックスタイム、在宅勤務導入など働き方の大幅見直しや、介護施設職員の待遇改善などで、介護人材の海外からの受け入れも不可避ではないかと考えています。

 また介護者となりうる一人ひとりは、国任せ、会社任せでは仕事と介護の両立は困難ということを改めて心しておくべきでしょう。「介護が必要になったらどのように乗り切るか」など、長期的見通しを主体的に立ててほしい。いわば戦略的生活設計が老親介護ではとりわけ重要になります。(聞き手・永持裕紀)

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 にしくぼこうじ 58年生まれ。専門は企業福祉研究。大手生命保険会社勤務などを経て06年、山梨大生命環境学部地域社会システム学科教授に。近著「介護クライシス」。
    −−「耕論『介護離職ゼロ』への道 和気美枝さん、西久保浩二さん」、『朝日新聞』2016年1月16日(土)付。

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(耕論)「介護離職ゼロ」への道 和気美枝さん、西久保浩二さん:朝日新聞デジタル


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