覚え書:「今週の本棚・この3冊 中上健次 高橋一清・選」、『毎日新聞』2016年01月17日(日)付。
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今週の本棚・この3冊
中上健次 高橋一清・選
毎日新聞2016年1月17日 東京朝刊
<1>岬(中上健次著/文春文庫/540円)
中上健次さんと会ったのは、私が文藝春秋に入社した昭和四十二(一九六七)年秋であった。文芸雑誌『文藝首都』に発表する詩やエッセイを読み、会いたいとはがきを書いた。それを握りしめ社の受付に現れた。編集者に会うのは初めてとのことだった。私は、文藝春秋の文芸雑誌『文學界』の翌年からの新企画である巻頭の詩の執筆を依頼した。
掲載号を渡すとき、これから小説を書くから読んでほしいと頼まれた。私は人事異動で編集部を離れたが、持ち込まれる原稿を読み続けた。「この世界は公平、作品がすべて」と言ったときから、いっそう私を慕うようになった。
六年ぶりに『文學界』編集部に戻り、中上さんに小説の執筆を依頼した。
「思い切ったことをしてみませんか」
そして『岬』が書かれた。これは昭和五十(一九七五)年十月号『文學界』に掲載され、翌年一月の選考で第七十四回芥川賞を受けた。原稿から九回の書き直しを求めて『岬』は完成した。単行本の装幀(そうてい)は司修さん、口絵に私が中上さんの故郷の紀州の海岸で撮った写真をおさめた。
昭和六十二(一九八七)年春、出版部にいた私は、中上さんの『火まつり』の単行本を作った。三重県熊野市で起きた猟銃殺人事件をもとに中上さんが映画のシナリオを書き、さらに小説化した作品である。装画は江見絹子さん。
江見さんに絵をいただきに上がったとき、「ゲラを読んだ娘が何や言うとりますから聞いてやって」と紹介された。おもしろい着眼であった。「話されたまま書いてください」とお願いし、『火まつり』の書評として『文學界』に掲載された。これが荻野アンナさんのデビュー作である。四年後、アンナさんは『背負い水』で第百六回芥川賞を受賞する。
菊地信義さんの装幀による『讃歌』の出版は、平成二(一九九〇)年春であった。ジゴロを主人公に、あらゆる性の交わりを描いていた。
ゲラを読んでいて、不可解な文章がいくつかあり、面会のとき、指摘して手入れを求めた。始めは面倒がって拒んでいたが、諄々(じゅんじゅん)と説くうち、中上さんの態度が変わった。
「二週間ください、直してお持ちします」
約束の日、手入れされたゲラを差し出した。
「一清さんと『岬』をやったときを思い出した」
そして、ふたりは見果てぬ夢とは知らず、次の「思い切ったこと」を語り合ったのだった。
−−「今週の本棚・この3冊 中上健次 高橋一清・選」、『毎日新聞』2016年01月17日(日)付。
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