覚え書:「今週の本棚・小島ゆかり・評 『四季の名言』=坪内稔典・著」、『毎日新聞』2016年01月17日(日)付。
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毎日新聞2016年1月17日 東京朝刊
(平凡社新書・864円)
「心は猿」ネンテン流に出かけよう
申(さる)年のはじめに、こんな名言はどうだろう。「凡夫の心は物にしたがひてうつりやすし。たとえば猿猴の枝につたふがごとし」(法然上人)。そして著者は言う。
普通の人の心は、たとえば猿(猿猴(えんこう))が木の枝を伝わるようなものだ。落ちそうになったり、枝から枝へ飛び移ったり、ぶら下がったり……。猿の動き、それが私たちの心の動きに似ているというこの法然上人の比喩が好きだ。心は猿だと思うと、なんだか気が楽になるではないか。(「春」)
そうか、心は猿だったのか。わたしは申年だから心も猿となるとシンプルな一体感を感じる。一方で、寅(とら)年や巳(み)年の人も心は猿なんだと思うと、それもまた愉快だ。
次は、そんな猿の心もひそかにときめく名言。
「きみを愛している。きみは親しげに灯るランプを持って、暗闇で考えにふけっていた私のところへ来てくれた女だ」(パウル・クレー)
『クレーの日記』の中にある、二十歳ぐらいの言葉だという。女性は後に妻となったピアニストのリリーらしい。クレーの人生や、その抽象的な画風についてふれたあと、「星月夜クレー画集の魚はねる」と俳人らしいプレゼントも添え、次のようにしめくくる。
今、ベルン近郊の丘陵にパウル・クレー・センターが出来ている。クレーの作品四千点あまりを所蔵するクレーの専門美術館である。ガイドブックを見ると、日本からのアクセスは次の通り。空路でチューリッヒ空港→列車でベルン(約一時間半)→ベルン駅前および市内各停留所から12番バス「Zentrum Paul Klee」行きで約十分。
ああ、行きたい。(「夏」)
わたしも、ああ行きたい。しかし現実にはベルンは遠い。そこでせめてこの俳人の愛するカバでも見に動物園へ出かけようかと思うと、こんどは、こんな名言に出会う。「美醜賢愚は俗論に任す」(中島敦)
名作「山月記」で有名な中島敦は、小説家として知られる前、二十八歳(一九三七)のときに「河馬(かば)の歌」十二首を作っている。一九一一年に初めて日本にやってきたカバをいちはやく歌に詠んだ彼はまた、カバの漢詩も作っていた。右の名言はその漢詩の一節。カバは悠々として別世界に住む者、美醜賢愚などどうでもいい、そんなことはつまらない俗論だ、という。
その風情に私は魅せられてきたが、もしかしたら中島敦も私同様に大のカバ好きだったのか。(「秋」)
ゆるやかな区分の「春」「夏」「秋」の多様な名言を味わい、そろそろ一休みしようかどうしようか迷うころ、折しもこんな名言が。「酔うて酔うて氷くだいて星を呑む」(小西来山(らいざん))。「菓子とは、ひとつがもっともおいしい」(中村汀女)。酒を呑むにも、菓子を食べるにも、俳人たちは粋(いき)なこと。
おしまいは、これにしよう。
「こころよ では いつておいで」(八木重吉)
詩集『秋の瞳』にある詩「心よ」の第一連。ひどく生真面目で人とうまくしゃべれない少年だった著者に、小学校五年生のときの担任の先生が「声を出して読みなさい」と、『八木重吉詩集』をくださったという。
実は、私はいまでも時々つぶやく。「こころよ では いつておいで」と、何かしようとして少し不安な時などに。(「冬」)
そうだ、心は猿なんだから、身軽く出かければよい。
−−「今週の本棚・小島ゆかり・評 『四季の名言』=坪内稔典・著」、『毎日新聞』2016年01月17日(日)付。
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